「もし〇〇なら」という仮説の連続の中に生きていることに気づきません。
この世界にあるものは、全部「たとえ話」なんです。
どんな立派な理論も、知識であっても、それはどっかの誰かが、「こうかもしれない」と言ったものが後世語り継がれているだけで、本当のところはどうなの?という不確定なものばかり。
でも、私達は、いつのまにか「不確定だったもの」を「自分の中で「確定」としてしまう。
これが個人の価値観、主観です。
確かに、こういうもの、という結論をつけなければ、この世界とは折り合いがつかないのだと思います。
しかし、「こうあるべき」に縛られて苦しむのもまた事実。
苦しむのが嫌なら、きっと別の見方があるはず。
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