最初から「全部OK」って思ってるからこそ、
何か高次から受け取った直観を、ありのままの周波数で現実化することができる。
全ては結果オーライになる。たしかにね。それはそうなの。
でも、初動を思い出して。
なにかピンときて、アイデアが浮かんだとする。
それをやろうと思ったとき、最初からわくわくして、何の理由も無く、ただやろうって思った?
それとも、何か不安だな…、良いのかな…、でも良い事もあるかもしれないし…、挑戦するのは良い事って、色々理由つけて最初に感じていたその「不安」を何となくポジティブにもっていかなかった?
高次からのメッセージ、直観っていうのは、私達が受け取った後に、それを自我のマインドに通します。
自我は「信念」というフィルターを持っています。それがどんな信念のフィルターかによって、現実化するものが違うということ。
最初に不安を感じたなら、恐れを感じたなら、それは何か信念のフィルターを通したから。
具体的な日常の行動的な何か、というより、
「不安」になれる「恐れ」を持てる、ということが可能だと「信じている」ということ」。
不安が起きると信じていながら、不安をなくすことって無理じゃない?
楽しいことでごまかすことはできるかもしれないけど、発生している不安を克服するって無理なんじゃないかと。
だから、克服すべきものが最初からない。ということを占星術の月の欠損では言ってることだと思う。
ないのよ。あると思ってるのが最初から無いの。
私達は「恐れ」がない世界をしっているんじゃない?
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