現実創造が流行ってて、思い通りの人生を手にするとか、スピっぽい話を交えたり、量子力学とか、物理とか、化学とか、いかに好みの現実をつくりだすかに、人間はものすごく興味を持つ。
結論から言うと、
「自分には、何も作り出すことはできない」ということです。
私達は「分離していない」
全てはひとつであり、源と同質。
バラバラな中に全体が含まれていることには気づかないのが自我の思考です。
バラバラに認識するのは「肉体」を信じているからです。
分離していない、これが確固たる前提であれば、この世界は自分で作り出せてもいないし、また、この世界が自分を作っているのでもない。
母親から生まれた自分としてのスタートを信じているし、この現実が「ある」という認識でいるけど、最初からそれすらがない。
だけど、この人生、この現実を、いかにうまくいかせようかと、一生を通して求め続ける。
望む現実が手に入る、と思っているその思考こそが、分離を信じている自我の思考。
この自我の思考がもたらすのは「苦しみ」というゴールです。
罪、罪悪感、それに伴う恐れというゴールです。自我の思考は有罪性の上に成り立ちます。
分離しているということそのものが「罪」という概念です。
そして、その苦しみを追い求め続けていることに人間は気づきません。
それは、この世界が自分に褒美(報酬)を与えることもあれば、罰を与えることもあるからです。アメとムチが存在するから。
疑いなく、そのなかでなるべく報酬が欲しいと求めるわけです。
罰を受けて当然だと思っているのは、罪の概念を信じているから。
この世界の創造主で、この世界を作り、自分という自我を創り出せていると信じているから。
私達は現実の創造主ではなく、何も創り出してはいません。
分離していない、という概念からであれば、何も創り出せないことは簡単にわかります。
それしかない、他に何も無い、独立して存在するような分離は不可能なのが「分離していない」という意味です。
こういう理詰めで考えていくと、
「私達は何も創り出すことはできない」これに着地せざるをえません。
理想や期待、望む現実がきっと手に入るという思考自体が、この苦しみをもたらす自我の思考のループから抜け出せなくなるのだと思います。
でも、人間やっぱり、こういう人生にしたい!っていう肉体にまつわる何かを欲してしまう。
内観で見るのは、こうした奥深くにある本質、自我の思考の構造です。
輪廻という概念が信じられているのも、自我の思考であり、「肉体ありき」の発想です。
肉体ベースで考えることを見直すことが「霊」と繋がる方法でもあります。
これまでの当たり前を疑って、新しい概念を取り入れていくことが、本当の意味での解放なのかもしれませんね。
私も日々内観と訓練です(笑)
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