心配する、案じる、気遣う、様々な言葉としての表現はあるけれども、
大抵は、「不安」からの「案じる」ではないだろうか。
これらは、何となくポジティブな雰囲気で使われていると思うが…
結局は自分自身の「恐れ」からの不安視なわけで。
相手に、良い意味で、良かれと思って、「相手のことを思っています風」に表現するこれらの陰に、自分の恐れを隠しているということに気づかない。
自分の不安や恐れを相手に押し付けてしまう。
アドバイスにしろ、説得にしろ、やんわりと気遣う風に語るにしろ、そうした自分自身の不安ベースで言ってないか気をつけるようにしてます。
自分自身の恐れから、その恐れを回避しようとするための表現になっていないだろうか。
これは相手に対する「攻撃」であり、自分のいう事を聞いて自分のことを守ってくれと言わんばかりの身勝手である。
他者にこれをするということは、それを自分自身にやっているのと同じです。
全く同じことを自分の心の中でも日々やっています。
案じるということは、今何かが足りていない、何かが不安、何かが起こるだろうという期待がそこにはある。
これは自我の思考。
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