2025.06.20 05:00苦しみの中で見えてくる光明 夏至の決意苦しみに寄り添うというのは、同情するとは違います。苦しみを感じていない人は、この世界には存在しません。その苦しみに、大きいも小さいもありません。そしてその苦しみは、「愛されたい」という叫びです。誰に、ということではなく、愛に愛されたいんです。愛は究極の安心です。その愛はどこからかやってくるのではありません。私自身の奥にあるんです。苦しみの中だからこそ、その苦しみを否定せず、排除しようとせず、苦しみもあって良いと全てを受け入れようと許せたとき、そこに在った愛が、苦しみを溶かしてくれます。いつ、どうやって溶けたのかなんてわからないうちに溶けてなくなります。その時、初めて「愛はあったんだ」って気づくんです。でもそれは、自分の心の選択なんです。苦しみをあって良...
2025.06.06 08:15意志が最上位「こう在る」という決断の力が「意志」です。その意志に一致する「意図」、つまりその意志の方向性に向かう為に「自分はどうあるか」と意図するんです。その、意志、意図によって、その後の願望、信念、思考や感情の「質」が変わるんです。「こうなりたい」という願望には、「いまそうではない」「そうはなりたくない」「今は満たされていない」という不足感の含みがありますよね?そうした不足ベースの「願望を現実化させる」のではなく、「意志」から全て始まります。意志が最上位です。ここを見落とさないでください。「意志」とは、願望をはるかに超える「決断」「選択」の力です。たしかに、願望するという「何かを望む」からこそ、その方向に推進力が生まれます。でも、全てを超えていく「意志」が最も強...
2025.06.06 07:59全ては同意のもと親子関係に言えること。ガチャとか色々いわれるけどさ。子供が親を選んでるのか?親が子供を選んでるのか?ずばり、これは両方です。同意の下で「親子」として今ここにいます。同意しなければ今ここには何もありません。だから、子供の苦しみを親が背負わなくていい。親の苦しみを子どもが背負わなくていい。なぜなら、親子という関係性の中で同じテーマの学びがあって、その学びのゴールに向かって双方で勝手に調和がとれているはずだから。起きることは、どちらかの為にそうなっているのではなく、必ず同時にお互いのためになっているからこそ、しっかり向き合ったらいいと思う。まずは、親の価値観や経験則というフィルターを外して、今のまま、ありのままに、ここに在る我が子を見るだけ。親の考えがない所...