星に主導権があるんじゃなくて、主導権はこっちやで。
自由自在に私達の見たい世界を映し出す。
だからこそ、ホロスコープの解釈は自由です。
星からのエネルギーが注がれている、とはちょっと違う。
星の意味を解釈して、自分に当てはめにいくのもちょっと違う。
見たい世界は既に映し出されている。ただそれを確認している…という感覚。
それぞれの惑星も太陽の光があるから照らし出されている。それを眺める。
私はヘリオセントリックを主軸に活動しています。
太陽が照らしだす世界をどう肯定的に受け取るか、だけなんです。
照らし出された世界の中にいる個人として枠の中の話はあまりしません。
個人的使命がどうとかを超えて、「全てが1つの心」として世界を捉えたとき、既にそれが個性であって、完璧に用意されているという視点に立っています。
だから、一つ一つの惑星の意味がどうとか、それが指し示すことはどうとか、分けて考えるのではなくて、トータルなんです。
全体を見下ろすところから、何がその人にとって必要なのか、それがまた自分にとっても必要なものであるという俯瞰視点を大事にしています。
ヘリオセントリックは、この三次元意識を超えていくものです。それを現実レベルでの個人が受け取ると、星が示すのは何か、自分(魂)の使命はなにか、それを現実世界の形あるものの中に探し、今の自分ではない別の何かがあると錯覚する。
そうなると、ヘリオではなく、ジオ(地球視点)になってしまう。
理解できるようでできない、それでも真実を知っていくという「はっきりしないこと」をヘリオセントリック占星術では大事にしている。なので、当たる占いが好きな人には向いていない。
私達は、自分は何者か?を追い求めます。
もうすでに、自分らしいのに他で補わなければという感覚を持ちます。
従来の占星術(ジオセントリック)のように地球中心のホロスコープではなく、太陽中心のホロスコープに映し出される太陽系は、ただあるがままの自分の背景を照らし出すのみ。
それをただ眺めている「わたし」の感覚を掴んでいくものだと思っています。
照らし出された世界の中にに入り込んでしまった私達が、勝手にこの現実を複雑に深刻に捉えているだけで、本当はとてもシンプルな原理、真理がそこにあるはずです。
そのことに、ヘリオセントリックを通じてようやく触れることができた気がしたよ。
星の通りに生きるというのは、
本当に、そのままの意味です。映し出された世界を背景に、ただあるがままに生きること。
星の通りに生きるしかできない、ということ。そこにいるしかない。
どのように星を活かすかというより、どのようにこの世界が見えているのかであって、星の配置は、自分が目指すべきところではなく、そこに見えるものを肯定的に活かしていくことです。
ヘリオセントリックは性格とか、資質とか、使命とか、運勢とか、カルマとか、自分がこの三次元でそうなるように生きていくための指針ではないと思ってます。
もっと俯瞰視点なのです。
占星術は、いろいろありますが、すべては自らを受け入れていくためのひとつの道具です。
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