視座を上げる。もしくは、俯瞰する。
これは、どういうことなのか?
シンプルに言うと、『知らないことを知る』ということなのかなと思ってます。
知ってることは、『知っている領域』を出ることはない。
自分の考えの及ぶ範囲内のことの中では、視座が上がるとは言わず、それは、同じ枠の中を行ったり来たりスライドしてるだけになると個人の意見。
知らないこと、というのは、今現時点でその発想が自分になくて、えーーそうなのー?!と初めて知ることが、『知らないこと』。それはまだ否定も肯定もない曖昧な感じ。
考えたこともなくて、わからない、聞いたところであんまり理解できないけど、そういうこともあり得るのだと知ることが、いわばメタ認知で、視座を上げるということになる。
自分が知っていること(理解できること)と、そうではない別のパターンがあることを知ること。それが良いとか悪いとか関係なく。
人間は、理解できることにしか興味を持たないとされる。
知らないことは、頑として知らないままでいたい生き物なのです(笑)
Aと言うパターンと、そうではないパターンが出てきたことで、初めて視座が上がって、視野が広がる。
それは理解したくてもできない、でもそのうち概念が変わって自然に受け入れている、そういう漠然とした調和なんだな…。
「わかりたい」「知りたい」が人間だもの(笑)。好奇心はたくさん持ってる。だから新しい扉を開くのは簡単。
素直になるだけ。
「無明」とは、人間が根本的に持っている無知のこと。
仏陀は、全ての苦悩は無明から始まると言った。
これこそ。ザ・シンプルな教えだよね。知らないから苦しむ。
その教えを人間がエゴで勝手に難しくしちゃった(笑) 別解釈しちゃった。それが宗教ね。
シンプルに還ろう~
そのプロセスが、次元が上がるということにもなるのかもしんないね。
まぁ、次元もどこまで行っても二元で幻想やけど…
その幻想の中を自覚して進めば良いのではなかろうか…。それが「幸せな夢」ではないだろうか…
0コメント