恨み、憎しみ、憎悪、
それは誰もが抱えていて当たり前のもの。
大切な家族にも、大切な仲間に対しても、あって当たり前のもの。むしろ大切な人ほどそうなる。だって興味ない人にはそんなことにそもそもならん。関心ないもの(笑)
その当たり前の憎しみを排除しようとする。
それを自覚せずに愛に変えようとする。
いい人でいたい
正しくありたい
存在を認めてもらいたい
そんな無意識の欲求が、
『憎悪』という感情をなかったことにしようとする。
家族を大切にしたい、大切な人を守りたい、
その思いは、気遣い、心配、おせっかい、干渉すること、色んな表現となる。
これらは自分の愛から来るものというより、自分の中の憎悪を見たくないから、愛の存在であるふりをするための行為でもある。
自我とは、こういう力動がある。愛憎の「愛」だけを意識することで「憎」は知らんぷり。
でも無意識では「憎」ありますから(笑) 「愛憎」は消えません。
『愛』と『憎悪』はセットになっている。
そのことに気づくと、うんと楽になるよ。
対極のものは、両方認知するから消せるんです。手放せるんです。それが二元の仕組み。
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