建前がないと、言い訳がないと、その本音を正当化出来ないなら、それは本音ではないということ。自分の本音に対しての他者の反応を気にしたり、共感を求めたりするのも、それは本音ではなく建前。
建前や言い訳が出てきたときは、それは『本音ではない』と見極めるチャンスかもしれないよ。本当は何を思っているのかに気づくチャンス。
したいならすればいい。
なのに、これは、こうで、こうだからやります。みたいなのは建前で、何だか言い訳にしか聞こえない。
それは本当にしたいわけじゃないかもよ?
迷いがある自分をごまかしていないか?
言い訳や建前を説明しだすと、全く何が言いたいのかわからなくなる。
建前って、そもそも自分と相手と考えが違ったとしても相手を不愉快にさせずに伝えるためのものではあるが、『言い訳』との区別は難しい。
自分でもわかってなくて無意識に言い訳していることもあるから。
ともかく、『説明したい』気持ちはわかるけど、理由を探してくっつけることが必ずしも良いとは限らない。
理由なんてない。わからないけど、そうする。
そんなふうに、本音はストレートで良いのかなと思います。
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