なんで〜なんで〜なんでやねんねんねん♬
『なんで?』からの〜
『〇〇だから』という答えが欲しいよねぇ。
つまり、何でそう〜なるのっ?!て部分が知りたい。
何かの結果に対して、〇〇だからという、いわば原因が知りたいってことが「なんで?」に集約される。
この〇〇の部分を知りたくて、学んだり、知識を得たり、習ったり、内観とか何やかんやするわけです。
でも、〇〇だったのか!と思っても、また別のなんでやねんねんねんループ(笑)
あーそういうことか!なるほど!と、頭で理解したものは、気づいたような快感は得られても、その〇〇は所詮誰かが考えた方法だったり、多数派の意見だったり、既存のものがベースになってて、その一定のパターンから外れたら、またなんで?となる。
やっぱり絶対的正解はないわけ。それが普通なのだけども。
ホントのところ〇〇という原因は永遠にわからないので、そうだったんだ!そうだよね!って、自分で納得しようとすれば、心のどこかで「正解はない」ことも分かっているので内心また葛藤が起こる。つまりは、「なんで?」が悩みを増やすってことね。
でも、この一瞬の『わかった!』という気づきもどきは中毒性がある(笑) なんで?がわかった時の、高揚感や優越感や、なんやかんやは病みつきになる。
そもそも自分が理解できる範囲内の情報しか取りに行かないから、人間の心理って。理解不能なことにはあまり関心が向かない。なので、気づきは延々と起こる仕組みです。
「なんで?」に対する原因の「〇〇」を教えてくれそうなセミナーとか講座とか、メソッドとか、本当いっぱいあるの。対処療法としては、もうきりなくある。
だから、探求そのものがやめられない。次から次へと探求しがいのありそうなものがやってくる。いつか、わかるときが来るはず、という思いもあるからやめられない。
私も、以前はこのループにハマっていたよ(笑)。
今は冷静に俯瞰できるようにはなってきたけれど、何かを追い求めていたころは、それはそれは悩みの種の出来事が多き人生だった(笑)
終わんね〜ぞ、探求は(笑)ってことです。
知らないことは知りたい。調べたい。わかりたい。探求し続けるということは、情報も増えていく、そうして自分に余計なものをくっつけていく。
探求という名のもとに、自分にくっつけてきた余分なもので、素の自分、原型の自分が全く見えなくなる。情報は新たな信念や概念を作り上げる。
いつの間にか着ぐるみが自分になって、その自分を止められなくなって、その中にいる本当の自分のことを忘れちゃう。
探求し続けるのではなくて、実は探求をやめない限り先には進めないんだなーと。
探求してくっつけたものを、今はひとつひとつ捨てていってます。だから生きるのも身軽になってきましたよ。
でも、探求してる時は『やってる感』あって楽しいしさー(笑)。つい、なんで?どういうこと?を考えちゃう癖は抜けないのよね〜
答えがないものの中で、どう生きるのか?
わからなくても良き。
だってわからないから。
なら、探求をやめちゃう。
『なんで?』はやめちゃう。
そのうちわかるかな…くらいでいい。
ただそうなだけ。
ただ、そうあるだけ。
そうあるだけ、の自分でも全然大丈夫なんだな。
それが個性。原型が個性。
それが体感できてきたら、探求してもしなくてもって感じ。頭での理解じゃなくて体感的な理解なので上手く説明できませんが。
そうしたら探求をすることにも、それを止めることにもあまり葛藤がなくなる感じ。探求することに執着がなくなったよん。って話。
探求に意味がないと、否定しているのではなく、なぜ探求がやめられないのか?の視点の話。
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