個人が見ている世界観というのは違います。
どの視点で、どう解釈しているかは個々バラバラです。ここからは、私の妄想劇場だと思って聞いてください。あくまで個人の解釈です。
まず今私達が認識している世界は、フィルムの入った映写機で映される投影の世界です。
この「投影」という言葉も、人によって解釈が違うので、私は私の考えとして説明してるんでよかったら、最後までお付き合いください。
で、その投影の世界を「現実」とすれば、今認識するこの世界は、映写機によって映し出された実体のない影ということです。影は曖昧ではっきりしない、はっきりできないものです。この世界に正解がないのも納得です。
で、通常は、この投影の世界の中の「自分」を「私」として知覚しています。
「私」以外が「他者」その周りを取り巻く状況・環境は人それぞれです。
私達が情報として耳にするものの中で「世界は鏡、他者は自分の鏡である」という話がよく出てきますが、鏡というのは、そもそも投影世界の中で必要になります。
鏡に映った世界をそのまま認識すると騙されます。鏡は反転していますんで。
右手に物を持っていたら鏡の中の自分は左手に持っていますよね。実際とは「逆」なものを見ているのです。
つまり、世界や他者が鏡関係であるなら、それをそのままではなく、反転させて自分に置き換える必要があるんではと。
ということは、単純に個人の自分が考えていることの「逆」をいけばいいのではないだろうかということです。
つまり、「私はこう考えている」というのを少し疑ってみます。「自分の考え」ほどフラフラしていて、曖昧なものはありません。あえて逆をいってみる。
一枚の紙の表だけじゃなくて裏も見るってことです。
反転世界を捉えることで、次にここが投影だと気づくチャンスが生まれます。次に知るのは、ここの投影世界を映し出している「映写機」の存在です。
この映写機を持っているのは、今自分だと認識している個人の自分ではありません。ここもよく混乱する部分です。この個人の自分が視座を上げてみたところで、それは解釈が変わっただけで、横にスライドしただけになります。
「私」と認識している個人の自分も、既に投影の中ですから、映写機は自分が思っている自分の外にあります。この外に出た時、俯瞰ということになります。
そして、よく見ると映写機には、フィルムがセットされています。このフィルムが投影世界の元となる部分です。これが「無意識」です。
個人の「自分」が無意識を持っているということではありません。
ここも良く混乱する部分です。
このフィルム(無意識)が元になっているのですが、現実世界という舞台では、組まれるセット、役者、具体的ストーリーが異なるということです。人間は、この時の役者のひとりが「自分」であると知覚しています。
このストーリーの内容は変えることができますが、大本の映写機のフィルムは無意識なのであまり気づくことができません。
現実の個人としては、このストーリーにこだわります。良い人生を送りたいというのは、このストーリーの部分です。
個人のストーリーの台本は、何か大きな全体のテーマを持って書かれているのですが、すっかりストーリーに引き込まれて、ストーリー内の自分を「私」と知覚しているので、出来事に一喜一憂して、楽しいこともあれば、苦痛を味わうことにもなります。
ここで、楽しい人生のストーリーを目指すぞ!という願望を叶えるツールが多いですね。
引き寄せもその一つ。
ストーリーが自分の作った台本で、何を(無意識)テーマにしてその物語を書いたのかに疑問が湧いて、初めて今度は「映写機(無意識)」に気がつきます。
次はそのフィルムが何なのかを知っていく学びがあります。そこに映写機を置いて、フィルムを差し込んだのも「私」だとわかります。
そのフィルムが無くなれば、映写機も用がないので要らなくなります。
最後は、その映写機の後ろから差していた光だけになるということです。
最後はめっちゃざっくりな説明になりましたが、私が提供している隠者を読み解く講座は、「映写機」に気づくという部分の前後に対応します。
俯瞰(メタ認知)の話、投影を投影として認識する話、ストーリーは何の無意識からできているか?そんな部分のお話です。
興味があればぜひ~(^^)/
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