最初からなければ、あることを知らなければ、「無い状態のまま」。
あるとわかっているもので、自分がないものは欲しくなる。
一度手にしたら、今度は「なくなった」を味わう。
それはどこか、あったはずのものが「奪われた感じ」(取り上げられた感じ)がする。
何かがなくなると、寂しいし、不安になるし、何か怒りのようなのも湧く。
手にしたものは「幻想」
なくなったものは「現実」
個人的にそう思うことが多々ある。
手にした時は、達成感や優越感や、これで大丈夫かもというちょっとホッとしたような、未来の危険を回避できたような、そんな感じがする。
でも今度は、すぐさまそれを保持しようとする。もしくは増やそうとする。
余った分で周りに分け与えようってして、でもいざ手から離れれば、急に「なくなった感」がする。
「ある」と認識すれば「ない」も同時に認識される。あった、なかった、あるはず、なくなった、あったはず、と同堂めぐりになる。これが二元性。
最たるものは「お金」。例にするとわかりやすい。
お金を手にしたらホッとする。生活できる。食べられる。好きな事ができる。こうした偽の安心感は幻。
そして、お金ができたら必要に使うだけなのに、ただこれだけのことが、使うことに罪悪感が出たり、使うとなくなるという不安が出たり、使わずに我慢しようとか。使って無くならないようにもっと増やそうとか。
急に、なくなるという事に対しては「現実」っぽい。
人間は所有感が手放せなくてこうした心理的葛藤が生じてしまう。
だれか自分より多く手にしている人に嫉妬するし。恨んだり憎んだりもする。
羨ましい、勝ちたいと、勝手に競争が始まる。
「どれだけ多くを手にすること」が目的になってしまうと本来の目的がわからなくなる。
必要なことに、必要なだけ、受け取るということが鈍くなる。
お金に限らず。どれだけ幸せを手にするかは重要じゃなくて。
多い少ないとか、増えた減ったとか。そんな天秤は、バランスを保つより天秤ごと捨てた方が楽。
自分が何を手にしたかわかるのは、最後の最後でいい。
それまでは、意のままに今この瞬間、あるがままにニュートラルでいる。
あった、なくなった、取った、取られたという所有ではなく共有であれば、執着って起きない。
意識としては、「なくなってもいい」「なくていい」がベースだと楽。
あって欲しい、ないと困るっておもっていると、不安になる。
最初からあると思っているものが幻なら、何もない。
何もないから共有できる。
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