相手が、無垢で純粋なほど、あなたはその人を憎みます。
親子関係が一番わかりやすいですね。
例えば、子供って、制限なく生まれて、無垢で、純粋です。だからこそ、親はこう思います。
「子供のうちはゆるされるけど、大人になったらそうはいかない」
こうして、大人の世界、現実という制限を、子供も経験せざるを得ないのだと教えます。
そんなことしてたら、自立できない。
ちゃんと仕事もできない。
みんなから信用されない。
認めてもらえない。
社会では通用しない。
生きていけない。
こう脅します。
こうして、純粋、無垢のままでは、この現実では生きていけないのだと教え込まれちゃうわけです。
この制限に、人間は苦しみます。
ああしなければ、こうならなくては、こうすべきという正しさを必死に求めて、そして子供のように純粋で無垢で、素直でありのままの人を憎みます。
どうして私ばっかり、こんなに頑張らなくてはいけないのか、こんな苦しい思いをしなきゃいけないのか、どうして、わたしだけ!
子供をコントロールしたくなって、しつけという名のもとにイライラを当たり散らし、子供の意見というより、もはや親の意見、親の理想の子供像に近づける為に子供を誘導する。
愛する子供を憎むって、すごい矛盾ですよね。
本当は大事に思ってるし、愛してるのよって言いながら、あれしちゃだめ、これしちゃだめ、と制限したくなる。言う事を聞いてくれなかったり、親が子供に与えた役割をこなしてくれなかったら、親は子供を責めますよね。
そうした子供時代を経て、いずれ、おおきくなると、ある程度親の願い事や期待通りにこなしてくれる子供が「親思いの良い子」として親に感謝されるようにもなる。
親にとって子供は、
子供に苦労させられるという「罰」から、そのうち自分のために動いてくれる子という「報酬」に変化する。
こうして、「自我の思考」が見事に現実化する。
こうしたことは全て、自我の思考から生まれます。
「自分ばっかりこんな目に」という思いは100%他者への攻撃と憎しみと復讐が込められた行為へと繋がります。
みんな、子供のように純粋無垢ではいられないのか?
ルールもなく、赤ちゃんが許されるように、みんなが許されている現実は無理なのか?
ルールが無ければ秩序が保たれないというのはうそだと思う。
ルールは少なくとも善悪の判断の材料となってしまう。
そのルールに従わない人を見張る人、それを罰する人がいれば、必ず「立場の差異」というものが発生してしまう。
つまりは、ルールって本質的には必要のない者なんだと思うけど。
無いとどうなっちゃうんでしょうね。
ルールがなければ、「犯罪」という枠組みもありません。
逆に「正義」という枠もありません。
何か人間がルールを作れば、必ず、善と悪が発生するんです。
こうした分離の考えが、この世界全体を覆っている限りは、完全な平安は無いのかなって思います。
でも、ルールが全くない、一回そういう世界も味わってみたいもんです(笑)。
案外、宇宙の法則通りなら、秩序は保たれ、愛の世界になるかもしれませんよね。
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