前回、記憶について書きましたが。
記憶が薄れるからこそ「執着」もなくなるんです。
忘れるって最強ですよ。
あんなことがあった、こんなことがあった、自分が・・・あの人が・・・・
こんなこと考えてたし、こんな風に感じたし・・・・
↑これがいわゆる過去の(記憶への)執着です。
これに苦しめられるわけ。
楽しい時間を過ごした後に、その余韻が長い人って、あの楽しかった体験をまたしたい、もっといい楽しい体験をしたい、っていう思いがあると思います。
悲しい出来事に対しては、あの時もっとこうすれば良かったとか、もう二度とそんな思いしたくないとか、そうした思いがあると思います。
これらもまた、一つの執着から生じる感情です。こうした感情が、それと繋がるように次の行動に結びつけようとします。
こうやって、過去が未来方向へと繋がっていく。
でもこれがそもそも苦しみの原因なのではとも思うわけです。
楽しいことは、その時目いっぱい楽しむ。それが終わることを寂しく思いつつも、「楽しんだ」という結果だけを持って、次の新しい瞬間へと移行する。
悲しいことは、うんと悲しんで。でもそれも「悲しかった」という結果だけを持って、次の新しい瞬間へ移行する。
それでもいいんじゃないかと。
うちの子供達ね。まああっさりしてるんですよ。
もう何か月も前から楽しみにしている事も、その日に目いっぱい楽しんで、終わってしまえば、次の日から全く普通通り(笑)
楽しんでるときは、終わりたくない、もっとしたい、とか言いますけど、過ぎてしまえば、あれ楽しかったね、とか、思い出すらあまり振り返りません(笑)
それと同じく、逆に悲しい出来事も、振り返りません。あとに尾を引きません。
おばあちゃんがなくなった時も、何か悲しい…寂しい…って味わって、もう次の日ケロっとします。
友達とお別れした時も、めちゃめちゃ悲しくて泣いて、でも次の日ケロっとしてる。
こないだ家の前で死亡事故があった時も、心臓マッサージされてる死にかけた人を見ても、「助かると良いね」って言っていいながらじっと見つめて、うちの敷地に飛んできた大破したバイクの破片や吹っ飛んできたヘルメットを拾い、その後交通誘導を手伝い、普通ならトラウマにならへんか?って思うのに、そのあとすぐに食べかけていた晩御飯の続きを普通に食べている。
これね、実は子供に限った事ではなく、私もなんです(笑)
うちの家族、何となく、出来事が「おおごと」として捉えていないっていうか…(笑)
大抵のことは大丈夫っていうか、全部ありえるよねってくらいで。
感情薄め。記憶薄め。というか過ぎたことはどうでもいい派(笑)
人間界で生きる人間としては、少数派かもしれませんね。
私も昔から、冷たいとか、冷めてるって言われることもあるけど、それと同じくらい優しいね、明るいね、も言われますよ。
結局ね、何でも「主観」なわけで。
「こうあるべき」は完全な「主観」。
色んな先入観、思い込み、概念で、「こういう時はこうすべき」に囚われてしまう。
だから人からどう見られるかも気になってしまう。
良い人でいようとしてしまう。
共感すべき
過去を大事にすべき
感謝すべき
自分らしく生きるべき
心地よくいるべき
嫌な事は止めるべき
いらないものは捨てるべき
こういう時は悲しむべき
気遣うべき
ポジティブでもネガティブでも、「すべき」の時点で制限だから(笑)
あらゆる概念を疑う。あらゆる制限を取っ払う。
そこには「愛」しかないと思うけどね。
その愛のままに、思うように行動すればいい。
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