「無の世界」から分離した「有の世界」。
その「有の世界」を前提に話をしています。
この「有」が二元世界で、そこではAの存在を認識するには、Bという存在が現れることによって比較しなければならず、そうしてAとBそれぞれが何であるかを認知します。
「見るもの」と「見られるもの」ということです。
(片方のAしかないなら、それしかないから意味もいらない)
この「1(A)」に「2(B)」が出現した瞬間に、本来は両方を見ているCという「第3の観察者」が同時に現れているのですが、なぜかAかBしかなく、そのどちらか一方を選ぶ衝動に駆られます。
実際は、Cという観察者がAもBも見ているからどちらを選んでも良いはずが、Cという観察者の意識はないことになってしまうんです。
つまり、数字の世界で見ても「1」が「2」になった瞬間に「3」になってる。
この辺、物理学とか量子力学詳しい人いっぱいいるでしょ。はしょるけど。
全てのものは3つの素粒子の組み合わせで出来てるとかなんとかもあったんだよな。
やっぱり「3」で出来てる世界! この世界に「2」ってないんじゃね?ってことです(笑)。
で、話は戻って「1」という有の世界の中で「2」が現れたら、それは「3」なのだが、「3」を無いことにして「1」と「2」しかないと錯覚していることを、延々繰り返しているのが分離です。これが全ての苦痛の原因。
(図のなかの▢の世界の中に自分が入り込んでいる)
俯瞰視点というのは、この「3」の視点であって、「1」か「2」かの視点のどちらかに自分がなりきった視点ではないということですね。
この図全体が「二元」です。この図の中の「1の視点の私」を自分だと思い込んでいます。
この図の中の「1の視点」を私と認識したまま、いくら俯瞰したとしても、この▢の中からは出ていないってことです。「1の視点」「2の視点」を行ったり来たりしてるだけ。
「3」の観察者意識の無意識を変えていかないと現実は変わらないってことです。
「3」の観察者の視点になると初めて「1の視点」も「2の視点」も消せるんです。
ただの「在る」に戻るんです。
これがブロック解除。つまり、第三の視点=第三の眼ってことです。
でもこれが、なかなか・・・・・ね(笑)
第三の観察者意識が理解できそうでできない壁です。二元の仕組みは巧妙にできてます。
この辺の意識を変える為に助けになるのが形而上学なのですが、概念や解釈は様々ですね。
言語化も今はこれが限界(笑)
隠者を読み解く講座は、これを解説してますよ。
Kanaiプレートアートはこの第三の観察者意識の無意識レベルを浄化お助けツールです。
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