みんなが今悩んでること、望んでいる事って色々あると思うけど。
余裕があれば、もっと穏やかで優しい自分になれる。
もっと幸せになれる
幸せになっていいよね!
っていうのもそのひとつかもしんないよね。
そのためには、
お金に余裕があれば…
時間に余裕があれば…
自分に余裕があれば…
仕事して、稼げて、子育てもして、自分時間もあってリフレッシュして…
だから、子育てするなら在宅ワークも憧れるし、楽に稼げるならって思う。
忙しい中でも自分も満たしておきたい。(そしたらまたそのためにもお金はいるけども…)
これらを構築できれば、それがきっと自分のため、家族のためにもなる!
という現実的欲求。
この欲求を満たす上で、こうだからやってます!〇〇のために、やってる!これは自分の現実的欲求を正当化している言い訳ね。
全部自分のため。なので、結局今の状態は全部自分のせい、なわけだ。
そもそも、心に余裕がない自分、から現実が発生したわけで。余裕のない心が現実化されているだけ。
それを、心の方ではなく、心の欠けている部分を、外の状況やお金、時間で埋めようとしていくのが、まぁ大半のこの世界における人生のスタイルでもある。
本来ならこれらがなくても余裕があってよいはず。
だって、全ては在るとか言われてるやん。
心が余裕を持つには、何か外のもので手にしないといけないわけじゃなくて、手にしようと外に向けた時点で別の悩みを引き寄せることにもなる。仕事しなきゃ、稼がなきゃ、そのために何かしなきゃとね…
どうせならもっと良くしたい!という「もっと」の欲求が人間はある。これにはきりがない。
自分にとって現実的に都合のいい欲求に関して、事実に対して何か言い訳して納得しようとするのは、自分が正しいから「思う通りにしたい」という心の欲求があると自覚していないから言い訳しちゃう。
それを自覚してしまえば、あとは現実的な何か手に入れたいという欲求に対して、その欲求を集中して取りに行こうがあまり葛藤しない。上手くいかなくても言い訳しない。
だって、お金を稼ぐとか、好きなことをするとか、自分を満たすとか、それ自体は悪くないからね。それをするのに言い訳が出てくるときに、葛藤する。それは心で満たされていない何かがあるってこと。それが自分を正当化したい欲求、という言葉に集約されるかもね。
そこが自覚できると、不思議と現実的に何を選んで実行するかの選択が本当の意味でできるようになる。
自分の心が何をしているのか?
正しいと言いたい
思う通りにしたい
そういう心の欲求を自覚してしまえばいいだけ。
ここの心の欲求が顕在意識では曖昧だから、現実的な選択に迷う。後ろめたさが罪悪感となる。その罪悪感を感じたくないので理由を並べて正当化したくなる。
となると、人の目が気になる。比べる。争う。
で、悩む……(笑)ループ!
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