「不足感」というものを常に根本に抱える私達は、それを補いたい、埋めなければならないと無意識に感じています。
それを「衝動」とするか「欲求」とするか。
「何かしなきゃ!」という力動は、今自分自身に不足していると感じるから出てくる発想です。何かせずにいられない、忙しくしていた方が落ち着く、忙しい方が性に合う、そう思っている人も、自分の中の「不足感」について考えてみてもいいかもしれません。
「不足感」というのは「所有感」ととても関連性があります。
そもそも、この二元の世界では、自分と他者に違い(差異)をみていますから、今目の前に他者が「見える」ということは、「自分と違う=自分にないものを持っている人」という認識があります。
自分に無いから欲しい。だから何かを得る、受け取るという行為で埋めようとする。
でも、それは実は自分にないものを他者から奪っているという認識になってしまうんです。(肉体的に言えば脳みそがそう処理をしちゃうってことです)
逆に、自分が他者に何かを「与えよう」としたとき、それは「奪われた」という認識をしているということでもあります。全員が。無意識的にね。
つまり、自我的な「所有感」というのは、取った取られたが必ずくっついてきます。99.9%私は奉仕的に与えたと思い込めても残り0.1%は「取られた」感が残るってことです。これが二元の原理なので仕方ないんですね(笑)
つまり、与えることで循環する。には落とし穴があるってことです。
与えることと受け取ることの両方をバランスとろうとしますが、もともとが所有感であればこの「与える⇔受け取る」に必ず無意識の葛藤が起こります。必ずです。
取った取られた、奪った奪われたは、また罪悪感となっていきます。これって結構ヘビーなループなんですね(-_-;)
増えた・減ったの発想も所有感です。条件反射的に出てしまう発想ですよね。
そこで、私達はこれに気づいて、「共有感」について学ぶ必要があります。
これが占星術でいう、「牡牛座(所有)ー蠍座(共有)」の学びです。
所有感というのは「自分がもっている」という感覚です。だから無くなる感じがします。自分でコントロール、調整が効くような感じがします。
一方で「共有」というのは、既に全ての人の目の前に全てのものが揃っているということ。いつでもどこでも誰もがそれに手を伸ばせばいいだけの状態が共有です。「与える・受け取る」という発想がそもそも出てこない領域のことです。
「与える・与えられる」というのは物がAからB(BからA)に移動したということであって、共有とは微妙に違うと個人的に思っています。
共有感を体感するには、「自分と他者は別々の存在である」という分離思考ではなく、「自分と他者は同じ一つである」ということ、それはまた物理空間的な「在る(存在する)」という感覚から離れたところの感覚になります。
まさに蠍座は、肉体、物理空間を超えていく「生命」そのものを感じる「生命感覚」を象徴します。つまり意識、心レベルで捉える感覚のことで、それが「共有感」という所に繋がっていきます。
私達は基本装備が分離思考の「自我」です。
その自我であることを知らないでいると、この世界のからくりに一生気づかないし、気づかないから葛藤が無くなることはありません。
占星術には、私達が自我として分離世界で物理的、肉体的体験をしながら、まわりまわって分離ではない別のものを学ぶためのヒントが象徴として隠されています。
それは「私は何者か?」ということです。
私というのは、今ここで肉体を持ち、名前を持ち、職業をもち、家族を持ち、こうしてブログを書いている「私」ではありません。
現実創造としての「私は何者か?」なら個人的で具体的な「私は、○○である」というものが現実世界にはたくさん見つかります。
でもそれ自体が、この分離世界に私達が縛り付けられるループ構造であり、苦しみのもとにもなっています。
そのループから抜けるには、世界全体のからくりを知るということは避けて通れません。
それは、今自分が全く知らない、発想にないことを知っていくことでもあります。それが、蠍座の次にめぐってくる「射手座」の象徴です。真理の探究、本質の探究と理解する意欲です。
蠍座月間が終わったら、今月後半は射手座月間。
これまでの自分を昇華させ、新しい世界へと飛び込んでいく季節ということです。それは、現実創造的な行為行動のことではなく、それこそ絶対的な大いなる力に引き寄せられるように真実に向かっていくということです。
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