誰かのために。
身近で大切な人にほど、そう思う。
誰かのために、良かれと思って。これをちょっと疑問視してみる。
自分は特別、自分だからできる。という特別性を認めてもらいたいというやや攻撃的な思いがどこかにあるような気がする。
それでいて、自分は誰かにとっての特別でありたいと思う。
「依存」ですね。共依存。
「誰かのために」は、自分は正しい、特別であるということを正当化しようとする行為なんだなと。
えーーーーーそんなことなーい!と思いたいけど、正直なとこ、そうやな(笑)
「愛」を持って接しているつもりでも、そこにはやはり自我(エゴ)がちらつく。
見返りを求める気持ち、期待する気持ち、お互い平等に得たいという気持ち、お互い責任は平等にとるという気持ち、それは自分とあなたは別々という分離感から湧いてくる。
そうなると、「循環させる」という発想になる。
循環は、させるものではなく、自然にそうなるもの。
ブロック解除もそう。ブロックになっているものを手放す、のではなく、勝手に外れる。
なんか、自分でやってやろう!という思いがどうしてもあるんだな~。
「愛」が何かなんて、自分には判断できへんねやな~と思った次第です・・・
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