心が自由で幸せなら、どのような人生を生きるか「形」にこだわりがなくなってくる。
こだわりがないからこそ、自分はこう生きると明確になる。
こういう人生、という自分の中の理想は、
大抵「他者からよく見られそうな自分」です。
見えるもので、その人を図ることはできません。
どのような形で生きているか、表面的な部分の「背景」はその人にしかわかりません。
ただ、純粋にその人に「憧れ」を持つこともあるでしょう。
憧れも理想だけど、行動の原動力になるならそれも悪くないですよね。
でも、どうしてその人にあこがれているのか?
みんなに好かれている、人気がある、稼いでいる、いつも楽しそう、
そんな風に見ているならあなたの中の「承認欲求」も疼いています。
自分が得られない承認を、その人は持っている。
実は、自分にないものを持っている他者を見ると、
無意識レベルでは「奪われた」と感じます。
これを感覚的に掴める人は少ないかもしれませんが…
この世界で、私達が思う「与える・与えられる」は、実は「奪う・奪われた」が隠されています。
これは非二元的な視点から見たら、自分という主体も他者という客体も、元は同じ一つの「あなた」だからです。
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