現実的に、こうなって欲しい。こうであってほしい。
これがすでに、コントロールなのだなと。
自分にとっての心地良い世界とは、自分の思い通りに動いている現実ではない。
外の状況や環境に関係なく、自分の心地良さは保てるはず。
思い通りになっていれば、心が安定する。という考え方が段々ひずみを大きくしていく。
現実が上手くいっているかどうか、に執着しすぎると、見た目でしか判断できなくなる。
どんなに恵まれて、何も困ってなくて、人から称賛されるような状況であっても、心が満たされるかどうかは本当に関係が無いのだなと思う。
ある時、それはただの優越感だったって気づいたから。優越感では満たされなかったよね(笑)
思い通りの現実になっている、ことに執着すると、コントロールしたくなって、
コントロールするということは、外側のものを奴隷のように扱っている。
これは、結構心理の深い所の話になるのだけど。
数年前、私は子供を奴隷のように、自分の所有物のようにしていた(実際ではなく、心の中で。現実ではわりと自由にはさせていたと思う。)ことに気がついて、謝ったんだよな~。
子供は小さかったからきょとんとしてたけど。
私は、完全に自分の都合を押し付け、思い通りにならない子供に怒り、理屈で説き伏せようとする。そして、私を安心させてよ!と言わんばかりに常に無言の圧をかけていた。
これは、深堀すると、
子供たちに「あんたらのせい!」と言い続けられる機会を、私は自分自身で作って、子供にそうさせ、私は子供にあたって攻撃して、そして自分は罪悪感を抱く。
完全に罪悪感の自作自演。
罪悪感欲しさにやっとる。これを自分が望んでやっていることに気がついた時、子供を奴隷のようにしていたと気づいた。
子供だけではない。
外の世界全部に向かって。
だから、「要求しない」
(したくはなるけどねwww でもそこで気づく)
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