龍と名をつけたエネルギーと思えばわかりやすい。
今日はちょっぴりスピっぽい話題。
最近お友達が、「あんたが龍やん」って言うんですよ(笑)
何のこっちゃって話ですね。うさん臭さ満載(笑)
霊感強いねって昔よく言われてたけど、あんた龍やんなんて初めて言われました(笑)
さて「龍」といえば、色んな絵をイメージすると思いますが、あれはそうした表現のひとつで。私は世代的にシェンロンですね…ドラゴンボールの。
人間は思考する生き物なので…「理解する必要性」があるので、抽象的なことを形にしたり、擬人化することで神話的に見えない世界を理解するために「龍神」とか「天使」とか「神様」とか色々あるんだと思います。
ハイヤーセルフとか、そうした存在もどっかに何かいるわけじゃなくて、要するに何でも全部自分なんで。 ただそうしたエネルギーと同じだという自覚がないんですね。
体験する肉体の個としての自我意識が強くて、本来の自分がよくわかっていないから、そうした高次元の存在と言われるものと少し距離があるように感じるのかなと思います。
高次元の存在は、実際にそういうものがいるということではなく、そうしたエネルギーがあるというだけ。
波長が合うというのは、自分の中のズレが修正された時にそのエネルギーと同じ波長にあわさるって感じなのかな。
龍が見えるという人は、そのようなイメージで捉えているのだと思います。
霊が見えるというのも、視覚的なイメージで自分がそう捉えているだけ。
ただこの世界全体が元はひとつですから他者もこの世界の一部であり、だからこそ同じように見える可能性もあるとは思いますが、個々でエネルギーの捉え方は違う。
ちなみに私は「龍がみえる」とか全然ありません(笑)
でも「龍」という感覚がわかるようになりました。ああ、龍ってこれね…って感じです(笑)
感覚的なんで説明できませんけど…
この世界は元はひとつ。全ては同じ。同質。
という事は見えているもの全てはひとつしかないんです。
この世界は、意味がついてなければただの映像。
映像はエネルギーの塊が様々な映像として表れていて。
そう考えたら、「自分の中に宿るものしか映し出されていない」のではないかと思いました。
でも、それを個人の自分が「解釈」することで意味がついてしまって、それ以外のものに見えてしまうという事なのだと思います。
目に映る全ての中に神がいて、例外なく全てが光の一部。
でもそれをどこか区別し、比較し、いいとこどりで自分に都合よく意味を捉えているからこそ、人間界では葛藤や苦しみが生じてしまう。
本当は苦しみなんてない。
それに気づくためだけの現実。
現実の映像がどのようなものでも、何でもいいわけです。
だって、世界のどこもかしこも完璧にあるから。
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