あなたが不安になっている時、
安心して楽しんで生きている「他者」が気になります。
あなたが楽しく生きている時、
不満そうに愚痴ばっかりの「他者」が気になります。
あなたができないことを「他者」がやっている時、嫉妬します。
あなたができることを「他者」ができない時、優越感を感じます。
こうして「他者」が気になったなら、このように自分に声をかけてみて。
「他者は他者ではありません。他者は私です。」
ネガティブを映し出す他者も、ポジティブを映し出す他者も、どちらも「あなたの中のそうなる可能性を示します」
その可能性を否定しないことです。拒絶しないことです。
他者を受け入れることは、自分が自分から切り離して無かったことにしようとした部分を受け入れることです。
他者も自分も「同質」から作られた存在だからこそ、他者を受け入れたら、自分自身を受け入れたことになります。
この世界は、対極の可能性で溢れています。
その可能性のどちらを選んでもいいし、どちらも選ばなくてもいいんです。
そもそも選ぶ必要がないからです。自我には正解を選べないからです。
あなたの織りなす世界は、全て最初からそうなることが決まっているのに、何かを選んだからと言って変わるものではないからです。
「自分はこうありたい、こうあるべき」という思考は、あらゆる「可能性」の中の選択肢に「同意」し、自分の中の信念(定義)にしてしまうことが葛藤を生じさせます。
可能性はただの可能性。あなたが、そうに違いないと決めてしまわない限り、それは事実ではなく、ただの思い込み、妄想、幻想。
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