私達は「創造力」そのもの。
見えるもの・見えないもの、認知できるもの・できないもの、形あるもの・ないもの…
存在するもの全て=万物が創造主です。
個人の自分が創造主ではありません。
一個人の意識なんてものはありません。
創造主が全てを創るのではなくて。
存在するもの全てが創造主。
既に完璧に創られている私達、現実、宇宙、あらゆるもの全体がひとつの創造主。
何でも生み出せる創造力。完璧な創造力。
無条件の愛が創造力であり、創造するもの全ては最善。
全てが完璧にコントロースされている中にいる。
無条件だからこそ、「選択」という必要性がない。
選択はジャッジです。分離です。
良い出来事がいい
良い人生がいい
悩みのない思考がいい
ポジティブな感情を味わうのがいい
「自分にとって都合のよいもの」を選ぶのは分離です。
好き・嫌い
やりたい・やりたくない
心地いい・心地悪い
あらゆる感情の比較も分離です。
「比較」するものがあること自体、そして独自に何かを選ぶこと自体が「無条件ではない」ということです。これが「分離的」ということです。
世界がひとつ、無条件の愛ならば、分離的では成り立ちません。
全てがひとつなら、選ばなくていい。
選べないから。選ぶものがないから。
選ばれるべきものがないから。
だから何でもOKってことです。
何をするのがいいのか?なんてなくて。
選ぶ必要がないのは、全てが「結果」だからです。
一瞬一瞬が、無条件の愛として創造された結果。
あなたが何かを選んでそういう現実になったのではなく、
こうしたからこうなったという自分が考えるような原因と結果はなく、
思考的が、選んだように見せかけて、個人の自分が何かをやったように見せかけて、原因と結果があるように見せかけているだけ。
これまで様々に選択し、定義づけしてきたあなたの思考が創り出した解釈の現実は幻想です。
選択できないのなら、何も比べる必要性も無い。
どこの何を見ても、何も意味というものがない。
何が起きているか、なんて本当は何もわかってもいない。
何かが起きた
何かを起こした
全部思い込み。
何も起きていないし、何も起こせていない。
妄想、幻想を真に受けてしまっただけ。
これが現実だと、自分に信じ込ませてきただけ。
分離の信念の体験は、選択の連続であり、正しい選択を証明し続ける体験。
分離の中で、完璧な自分を目指すから、葛藤が終わらない。
私が負けるはずがない(勝ちたい)
私が失敗するはずがない(成功したい)
私がわからないはずがない(わかりたい)
私が知らないはずはない(知りたい)
私にできないはずはない(できるようになりたい)
私は間違うはずがない(正しくいたい)
だって、私は特別だから。
特別な、独自の、個別の、「私」という存在だから。
自分を観察するレば、分離という世界を理解させてくれる。
現実=体験。体験を通して知ることができるのは、「本当のわたし」。
本当の私とズレている「偽物の自分」に気づくために現実がある。体験がある。
現実=体験=私そのもの=創造主=創造力=無条件の愛
全ては「イコール」。
体験そのものに溶け込む。
創造エネルギーに溶け込む。
無条件の愛そのものに溶け込む。
そこには個人の「私」というものはない。
何もない。判断できるようなものがない。
様々な存在ではなく、「わたし」だけが存在する。
全てが「わたし」。
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