他者に「してほしい」とお願いされた時。
自分は、「してあげる」または「してあげない」という二択になります。
「してあげる」としましょう。
相手が喜んでくれた、自分も達成感がある、というポジティブな結果を生む可能性。
自分が思ったようにしてあげられなかったり、したことで自分がストレスを感じたり、疲れてイライラしたとしたら?
自分はその他者に罪悪感を感じたり、なぜ自分がしなきゃいけなかったんだと腹を立て、憎しみが生じます。
こうしたネガティブな結果を生む可能性。
「してあげない」としましょう。
自分はめんどくさくないし、楽だという意味ではポジティブな結果を生む可能性。
でもそれが、自分にとって大切な人ほど、その人に対して罪悪感が湧きます。やろうと思えばしてあげられるのに、してあげなかったと悪い感じがします。
してあげなかったら、自分もしてもらえないかもと不安になります。やっておかないと自分に良くないことが起こりそう、自分が損しそうとも感じます。
こうしたネガティブな結果を生む可能性。
わかりますか?
何をどう選択しても「苦しむ可能性」がそこにはあります。
だから、それを回避するために、ポジティブシンキングが発動します。
私達はこうした、回避できないものを回避しようとし続けることを現実でやり続けます。
これが葛藤です。
こうした「可能性」が自分に想像できるのは、私達が「過去の記憶」に頼っているからです。
そうなる可能性というのは、自分がそれを体験したことがあると思っている(もしくはそうなった人を見たという体験)からこそ、可能性そのものが「恐れ」になってしまうんです。
だーかーらー。。
過去はいらない。
「可能性」という判断を自分で下さなければ、その時何をやるか、どうした結果を生むかについて「苦しみ」にはなりません。ただの結果だから。
可能性があると、生じるのは「期待」です。こうなった良いなという期待。
理想とも言えますね。
理想、期待、が叶うようにやればやるほど、あらゆる「可能性」から逃げているということに、私達はなかなか気づきません。
だから結果にこだわってしまいます。
自分が何でもわかっているかのように「可能性」を持ち続けるけど、その可能性に苦しめられるわけです。
だから、何もわかっていなくていいし、知らなくていいし、体験は忘れていいし、情報も記憶しておかなくていい。
必要な時に、必要なことは知ることができるようになっている。自分が忘れていても、それを覚えている存在がいる。
だから、それを信じて委ねておく。
頭脳的なことは、今なスマホがあれば何でもわかっちゃう。自分が覚えておかなければいけないことなんて、この世界には無いんだと思う。
「忘れる」という機能は、人間の最大で最強の武器。
「忘れたものを思い出すために忘れる必要がある」
リアルと幻想の狭間にある、このパラドックスの意味が分かる人は少ないかもしれません。
どういうこと?って思っている人は、心理の構造や仕組みがわかっていません。
これがわかると、生きるのがめっちゃ楽になります(^^)/
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