強迫性観念、パニック障害に悩む人がとても多くなったような気がします。
今回は、「あくまで個人の見解と体験談」でお話します。
私自身、高校生の時に初めてパニックを体験し、30年近くそれと共に生きてきました。
そういうもんだと思って、ある意味仕方ないか…とも思ってたり。
20代後半には、一時的にひどく出るようになって生活に支障が出るかもと思って服薬経験もありますが、それなりにやりたいことをやりました。
仕事も色々経験したし、海外生活もしたし、自分の店も持ったし、人生という中での挑戦はパニック障害があってもできます。
だから、パニック障害なんて無い方が良いと思ってもいたけど、必要なことは全部できてたし、そうであってもいいとほぼ受け入れているような状態でもあったけど。
まぁのちに掘り起こせば、それを赦せない自分というのも結局は出てきましたけど(笑)
体験を重ねて、自分に自信がつけば、いつか克服できるとも思ってたけど、それは無理でしたね(笑)
で、内観が深まってきた時に、ふと思ったんです。
克服する必要ある?っていうか…そもそも「私はパニックを一度も体験したことがないんじゃないか?」と。
腰、抜けましたよね(笑)
その発想は無かったから!
こういう発想が出たのは、明らかに内観やメタ認知のおかげやと思います。
理論上は、「それを体験した」と思っているから「またそうなるかも」という予期不安がでてくるわけで。体験した事を忘れてたら、それが再び起きるかもとは思わないわけで…。
過去に私は、パニック障害になった。と、それを事実と思い込んだことにただ縛られていたかっただけでは?
そう思い込んだのは自分。
なぜ、そう思い込みたかったか、何を目的に思い込んだのかは、今は学んだのでわかります。ここでは省略しますが。
ざっくり言うと、私の中の無意識の罪悪感と恐れの信念があるので、それを投影して体験したかったということです。
そのフィルターを通したからこそ、「恐れ」として体験したわけで。
でも、メタ認知的な全体視点からみたら創造エネルギーはひとつなので。
「恐れ」を生み出したエネルギーは、もともと愛のエネルギーでもあるんですよね。
でも恐れとして体験しているのは、紛れもなく自分の選択。
ま、色々多角的に内観してきたことで、
過去に縛られていることや、
自分にパニック障害があるということ自体に罪悪感を感じてることや、
それを克服できた時に私は救われると、克服=罪ほろぼし、のように捉えていたということや。
そもそも、過去にそう思い込んだことを疑いもせず、何度も反芻して、それを強化しつづけて、克服したがってるけど、手放そうとしない。これを続けていただけやなとか。
幻想を現実と思い込んでたとか。
色々わかってきて、今結果的にそうした精神疾患は根治可能だとも確信できました。
そうした経緯が色々あっての、
過去がないなら、記憶がないなら、「私は一度もパニックを体験したことがない自分」に今この瞬間なれんじゃね?と単純に思うようになったんだと思います。
そう思ったら、自然と不安(予期不安も)出なくなっただけ(笑)
パニックになるのは、自分でそれを望んでいるから。厳密に言えば「パニック障害」を望んでいたのではなく、過去に縛られ続けるための手段として私の場合は精神疾患だっただけで、そうではない別の事で悩んでいる人も全く同じ原理です。
過去が無いということが身についてきたら、何か感情の反応として、ドキドキが出ても、この体験は今ここで終わるもので、この後に一切関わりのないものとして、「今ここの自分が真新しい自分」と捉えたら不安が続くようなこともありません。
よくある強迫性観念も、同じ原理で、気にならなくならんか?って思いました。
何処かに出かけようとしたとき「鍵かけたか?」って、必要以上に心配になるのも、自分が鍵をかけたあの瞬間の体験の記憶を持ち続けているからであって、鍵をかけて家をでたら、その記憶は頭から消す。
そしたら、鍵かけたか?という発想が出なくなるんじゃない?と思って私はそうしてます(笑)
鍵がかかっていても、かけていなくても、自分が心配していなければ大抵悪い方向にはならんのです。
過去の記憶=鍵を掛けたあの瞬間、に戻らなくていいし、確認しなくていいんじゃないかって。確認したくなるのも、後悔のような罪悪感の一種ですから。
何度も戻って確認したくなるのは、そこに縛られたいからであって、過去に縛られたいからであって、「そうせずにはいられないこと」に居続けることで、自分が罪悪感を持ち続けることになるし、そんな自分を責めたくなるし、自分を傷付け続ける。
でもそうすることが罪滅ぼしだとも思っているから、それを克服できた時に自分は幸せになっていいんだって信じているから、「克服すべき何か」が常に必要で、それがやめられない。
パニック障害も、強迫性観念も、これは、マジで終わりなきループ!
これは狂気のループですよ!!
あーーーここから抜けたいって思ったわけです。
強迫性観念や、パニック障害って、起きる構造が同じ。
医学的には知りませんが。どちらも無意識の深い部分に罪悪感と恐れの信念、そしてそれを保つために「戻らなければならない」「ここに留まらなければならない」「忘れてはいけない」そうした信念もあります。
「そうせずにはいられない」ことの中でほど、自分を妨げるものが顕著に浮上してきます。
それがポジティブなことでも、強迫性障害のようにネガティブとされることでも。
自分がせずにいられないことって、ネガティブに出れば強迫性観念、(障害や依存症とかいろいろな形がある)として体験するし、ポジティブに出れば、好きな事、楽しい事、手にせずにいられない欲求として体験する。
どっちにしろ「せずにいられない」ことを体験し続けることで「現実に縛られる」ということです。これが自我の目的なんだと思います。
こうしたことを見破っていくことで自分で自分を縛り付けていた自我の鎖がほどけていった気がします。
私が一番意識しているのは、過去を捨てるということ。それも全部です。
良い事も悪い事も体験、記憶、情報を「今この瞬間」だけでも全部捨てる。
これが楽に生きる方法です。
これはあくまで個人の対処法、体験談なので。
こうした精神疾患はなかなか自分の判断で出来ない部分でもあるけど、構造が見えてきたら、それを上手く扱えるようになったのは事実。
でも、マックス苦しいとき、自分でどうにもならない時、まずは気持ちを楽にするための対処はした方がいいです。
病院に行く、カウンセリングを受ける、そうして少し自分に余裕が出てくるから、内観することができます。
ということで、私の体験談を書いてみました。
パニックを克服した、のではなく、過去がないなら、何も最初から無かった…そういう意識に変化してるって話です。
過去は無く、その都度終わってる体験の連続だからこそ、またそれが起きる可能性を持って今を生きないということです。
現実を分析することもやめました。
考えたとて答えは出ないから。
そうした内観を毎日何年もあらゆる日常でコツコツ訓練しています。
長い期間、思い煩っているものを手放す一つの手段として内観は役に立ちました。
これを見て、私も変われるかも?って思ったら、
「気づきの力を高める講座」にお越しください!一緒に自分の内側へ行ってみよう!
どれだけ矛盾していることであっても、自分にとって正しくて信じるべきことになってしまうんです。
こうした矛盾は、自分の恐れを深堀していくと見えてきます。
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