スタエフでも話した内容ですが。
自己の中に、自分以外の他を創り、そのエネルギーを自己内に投影する。
これが「自己認識」です。自己認識のための手段が投影です。
そして意識とは、自分ではないものを知ることで、自分を知る能力のことです。
さて、想像してみてください。
あなたは「テレビ」です。
あなたというテレビが、自分自身に、自分の心を反映した映像を自分の画面に流します。
その映像をあなたというテレビが自分で見ることはできません。
その映像を見て、こんなのが映っていますよ~とあなたに教えてくれる「テレビを見る人」を創り出します。そのテレビを見る人は、あなた自身を分裂させた「もう一人の自分」です。
テレビに流れる映像を見る人から聞いた声で、あなたは自分の心の中を認識します。
これが投影による自己認識です。
さて、テレビ自身も、テレビの映像を見る人も、両方が「あなた」です。
分裂したあなたですから、テレビを見る人は「完璧なあなた」ではありません。
あなたの一部を欠いたあなたが、あなたのことを知る由もありません。
ここで、見ている人が、テレビのコンセントを抜いて、電力供給をやめれば、画面には何も映りません。「無」です。
でも、エネルギー供給をする間は、テレビに映像が流れます。
これが「思考」です。
このテレビを見ている人側から供給されるエネルギーとは「そうであってほしいという願望」です。
願望が実在させます。つまり、ただの投影を「現実」という実体のあるものとして捉えるようになります。
そうであってほしいと願望することが、現実を維持し、ゴールのない自己探求です。
そうであってほしい、(そのような自分になって欲しい)というポジティブな願いも、
そうであってほしくない(そのような自分ではない自分になってほしい)というネガティブな願いも、両方が「そうであってほしい願望」です。
何かを望むことは悪い事ではありません。
そこに、こうであってほしいという予測、憶測、期待を一切持ち込まない。
これが全自動の願望実現のコツです。
望むことが「幸せ」だとして。
いつどこで、どのようなプロセスであなたが幸せになるか、はあなたにわかりません。
あなたには、必要な時に必要なことが「全自動」で起こります。全てが最善ですから、何が目の前に起きても、それが幸せの道なんです。
でも、私達は、そこに「こうであってほしい」という自分の都合の良い結果を望みます。
それをイメージして、その通りの現実を引き寄せようとします。
しかし、これが落とし穴。これがコントロールなんです。
コントロールを手放さない限り、行きつく先は「苦痛」です。「葛藤」です。
私達は、ただ流れる映像に、「自分の解釈」というエネルギーを供給し続けることで、本当の自分を永遠に知ることができません。
本当の自分を感じるには「テレビのコンセントを抜く」
これしかありません。
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