私達の思考は、常にこれなんです。
「願望」が現実が実在しているということを創ります。
こういう自分であって欲しい。「理想の自分」があります。
こういう人であって欲しい。「理想の他人像」があります。
これは両方とも「同じ」です。両方自分の願望です。こういう自分であって欲しいという願望が「理想」として成り立つのは、そういう他者を実在させて、それを見ることでそれが自分にも実在すると思えるからです。
ちょっと飛躍しますが、
生きる、が実在しているのは「生きる自分であって欲しい」という願望が実在性を与えてるからです。
死ぬ、が実在しているのは「死ぬ自分であって欲しい」という願望が実在性を与えるからです。
あなたが、現実に実在していると思っていることは、全て「あなたが、こうであって欲しいと願望するもの」で出来ています。
思考が現実化してるわけです。
こうであって欲しいと自分が願っていることは、これはもう無意識なんです。
実在していると思っているものはただの投影(幻想)ですが、実在する現実として体験し、リアル感あって生きている人がほとんどです。
だからこそ、「現実」をいい形にしたい、良い人生を送りたい、幸せは外側の形態に依存する形で現実創造をしてしまいます。
それが悪いという事を言っているのではなく、それがまさに私達の「苦しみ」の原因だということです。
苦しみを最小限にとどめた生き方ではなく、私が探求するのは一切の苦しみがない世界線です。
それには投影を理解することは避けて通れません。
前回投稿した「テレビ」の話もそうですが、自分に何が起きているのか、この世界の構造はどうなっているのか?それを紐解くことが「本当の自分」に出会う道です。
「そうであって欲しい」って意識してやめてみようってやり出すと、もう何から何まで「そうであって欲しい」の連発です(笑)
これはいわゆる自我の「コントロール」ですから、それを手放さないとハイヤーセルフの声は聞こえてきませんよね。
この願望がなくなったら、マジで「無」なんだろうと、個人的にはそう思います(笑)
0コメント