あなたには、「悩み」がありますか?
悩みでなくとも、不快感があったり、問題が発生したり、不安や恐れに苛まれている時ってありますよね?
例えば、体調が悪い時、
「なんで具合が悪いのだろう?」と理由を考えませんか?
色んなパターンがあると思いますが、
「なんでこんなことになってしまったのだろう?」
「なにがいけなかったのだろう?」
何か理由があるはずだ!と考えますよね?
何か過去における行動だったり、体験だったり、
病気のせい、人のせい、社会のせい、食べたもののせい、
潜在意識の何か、集合無意識の何か、過去生(前世)の何か、
自分に足りないことがあるからだ、整ってないからだ、
わかっていない知らない何かがあるのかも・・・
そんな風に、何にしても「理由」「原因」が欲しくなります。
「理由」が欲しくなるのは、自分が「安心」したいから。
原因がわからない、原因が無いことが怖いから。
「何かの原因のせい」にすることで「自分」が助かると思っているんです。
これ「責任転嫁」ですね。
私達は、自分で自分を苦しめてます。苦しもう、苦しみたいと思って苦しみます。
いやいやそんなことはない、苦しみたくないのに苦しんでるんです!!
と言いたいところですが、それを正しいと思いたいので、何か原因があるはずだと考えちゃうんです。
私達は、何かを犠牲にするということが「罪悪」を持っているという事の証明になってしまいます。誰かを悪者(苦しみの理由)とすることで、有罪性の世界を自ら見ていることになる。
「何も起きていない」「誰も悪くない」という無罪性を、現実に見れなくなってしまっています。苦しみの根本原因はこれ。現実は罪悪の上に成り立ちます。
選択というものの上に知覚が成り立ちます。
比べる、選択する、=善悪が生じます。
私達は、自分や世界に、何がどうして起きているのか、わかっていません。
わかろうと思ってもわかりません。
この現実、投影は自分を騙すために自分に見せている夢だから。
わからないから、知っている者に教えてもらうしかありません。
自分が知らなくても、知っている者がいるのだから、それに委ねるんです。
苦しみから解放されるには「原因探しをやめる」という事に尽きる。
この世界に原因を見ない。自分で原因を解釈しない。
今体験していることは、何故かわからないけど、今そうなだけ。
どんな状態の自分であっても、ただそうなだけ。
そこに「苦しみ」はいらない。「恐れ」もいらない。
でもそれを感じてしまう。
それをどう取り除くかが自分では全く分からない。
だから、それをどうすればいいかを知る者に任せる。
もう取り除かれていることを知る者に教えてもらう。
苦しみがなくなる時、どうなくなったかはわからない。
でもなくなっているのだから、無いのだろう。
自分でそのことについて意味を持たせる必要がない。
わからないものはわからない。
ただ全ては最善になっているだけ。
そう信じるだけ。
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