要するに、思考が作り出してる世界なんだと。
そのテイで、世界を見ていくんです。
これは〇〇だ、と自分が考えたら、その瞬間、そうではないことを否定したわけで。
これで独自の「正しさ」の出来上がり。
自分の「考え」がそもそも葛藤の種で、あっという間に思考という不自由な檻の世界が出来上がる。
檻はどんどん強固になる。
そして、そういう考えでその後の自分や他者や社会を見るようになる。
そして、自分で否定してるまさにそのことを、見せられた時に、怒り、憎しみ、批判、攻撃して、自分の思考を正当化する。
私たちがやってることは、
自分で間違い(敵や悪)を作り出しておきながら、それを正そうとするゲームをしてるだけ。
いつも正しさに警戒して、緊張して、知識や情報や経験を蓄えようとする。
そしてそれが、より現実にリアル感を持たせてしまう。正しい自分でいるための選択と行動は、自分の中の不足感を強化してしまう。
この思考の世界線からシフトしないと、もっといい現実、人から見られていい印象を与える人生、羨ましがられる人生、の形にこだわってしまうようになる。
「自分の正しさ」の判断材料に「どれだけ自分ができているのか」が加わってくるからだ。
「いい現実」を手に入れることが目的になってしまうと、必ず葛藤に苦しむ。
思考が止まると、現実にリアル感がなくなる。
この世界に対して自分が意味づけしていることにバカバカしくなる。
正当性を証明するために生きてきたこともわかる。
思考の中だけで生きていたこともわかる。
考えずにはいられなくなっている自分にも気づく。
そこではじめて、
誰に何を証明したがっているのか、
一体何のために考えているのか、
何のために生きているのか、
に疑問が出てくる。
現実的なことについて「本当の私がしたいことはこれなのか?」と問いかける前に、
「思考の中で生きることをやめたいか?」という問いかけが先に必要かもしれない。
二極的な思考の上に、楽園は築けない。
まずそこから理解を始めたら、楽に生きられるようになって現実がスムーズに調和的に動き出す。
葛藤や恐れのない状態で生きることが、何をやっても幸せな状態なのだと思う。
生き苦しさからは、誰でも必ず抜けられる。
遅かれ早かれ、みんなが本質に気づく。
それを後押しする時代がやってきたんだと思う。
さぁ、軽くなってこー😆
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