本当の安心、心の平安って、結局は現実とは関係が無いんだなって。
人生上手くいけばきっと幸せ。
お金があって、家族がいて、助けてくれる人がいて、毎日楽しくて、健康で、好きなことができて、やりたいことやって、自分らしく入れたら・・・・
生きている限り、現実が実在すると信じる限り、理想や目標や期待は無限に湧いてきます。
しかも「上手くいけば」というのは自分のさじ加減であって、好みであって。
それってゴールのない欲求にもなってしまいます。
本質的に、私達が「霊」として何を目的に、どこへ向かっているのかを突き詰めていくと、何をすればよいのかが自ずとわかってきます。
私自身、それに納得するまで何年もかかっているし、今もまだそれに囚われる自分もいるし。でも、本当の自己が目指している、望む所って何か?を理解すればするほど、自分が良かれと思っているようなものを望んでも仕方がないことも理解できる。
形而上学を理解すればするほど、わかってくることがある。それは、
・心と体は繋がっていない
・起きること(現実)に干渉しない
・自分では何も創り出すことはできない
・望む通りの世界が作れるという思考を手放す
・世界の実在性を疑う
これに尽きるなと思いました。
スピリチュアルが流行り、望む現実を手にしよう、願いを叶えよう、自分を満たそう、嫌な事はやめて好きなことをしよう、自由でいよう…
これらを、すればするほど私達の心は迷走するようになっています。
でもそれを良かれと思ってやっているわけですから、やめようとはしません。
現実創造に囚われ、理想を追い、現実に干渉し、手にしようと頑張る。ここからぬけられないわけで。
だからこそ、真理の探究のための形而上学の理解が「心に戻る」助けになりました。
苦しみの元凶は?恐れの源は?
それらを紐解くには「分離」という概念を理解することが避けられません。
二元性、二極性、の性質を持つ「思考」の構造の理解がなければ、私達がループから逃れることも、源へと帰還することも出来ません。
自分が思っているような安心や幸せとは、比べ物にもならない、何かがある。
それがこれからの時代、段々と明らかになっていくのではと思う。
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