心配する、という行為は、自分の恐れを他者に見ているだけ。
心配するより、全ての人は「大丈夫」だと、信頼と優しさのまなざしで見てあげればいい。
不安にさせるのではなく、心が和らぐ声をかけてあげればいい。
誰かを「間違っている」と指摘することは、「自分自身が間違っている」と自己責めしているのと同じ。
私だけは違う、私は正しい、そうした傲慢さは、自分を苦しめるだけ。
誰も何も悪くない。
誰も悪気はない。
自分が他者に「悪」を見なければ、そこに善悪は生じない。
罪悪感も生じない。
この世界に罪を見ないことが、愛ある行為のひとつ。
許し合うのではなく、許す必要性がない世界線。
この世界に、あってはならないものは無いし、
無くてはならないものも無い。
自分に嘘をつかずに、自分を抑え込まずに、本当にそう思えるように誰もがなれる。
その思考は、誰でも訓練できる。
誰もが、恐れの無い状態で生きることは可能。
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