世の中の流れか、スピの流れか…
「変わろう」って思い過ぎているかもしれないな‥という話。
そもそも「今の自分ではない別の何かになりたい」という願望が「変わりたい」という考えや行動に繋がります。
ようするに、そもそもが「不足感」「欠乏感」「このままじゃダメという否定感」「恐れ」からくるものであるということです。
「何者かにならなければ」と考えている間はずっと「未完成の自分」と思い込んでいるわけ。
みな、生まれた時が「完成品」です。
だから既に完成したものを「未完成」だと考える必要がないわけで。
完成品に優劣はなくて。
その完成品が並んでいる世界で、誰がそれを完成品ではないと考えているの?
もう一度言います。
「あなたは既に完成品です」
これにピンとこないあなたは、
全てが完成品で、公平であるのが嫌だと思っている。
だから、「非売品」の自分になろうとする。
非売品は特別だと、他と比べる必要なんてないのに。
そうやって自分の価値を自分が決めてしまっている。
その価値基準に自分で苦しむことになる。
よく、「今の自分を変える」ワークやメソッドがあるけど、本質を見失わない方が良い。
より心が自由に軽くなるために変わるのと、
現状をもっと良いものにしなければという不足や不安ベースで現実を変えるのとは、
「変える」の意味が真反対になる。
「変わる」の言葉にも、二通りあって、その意味合いは真逆で、これがパラドックスである。
現実的な意味合いと、無意識の本来の自己(ハイヤーセルフ的)な意味合いは、
全く解釈が逆になるのである。
だから、個人のあなたが「変わりたいけど変われない」というのも、
現実の個人的解釈なら、変わるために行動をとろう、思い切ってブレイクスルーで行動から始めたら変われるかも、とか。色々やるわけで。
でも、ハイヤーセルフ的解釈なら、変わらなくても既にそれが最善。完成品は不変。だから何者かに変わろうとするのではなく、今のままで変わらないで良い…という解釈になるんです。
自分の思考には2パターンがあって、一つは自我的(現実的個人)の視点。
もう一つはハイヤーセルフ的(意識・魂)視点。
同じ「変える」という言葉には、全く違う視点が含まれている。
言葉に縛られると、二つの内のもう一つが見えなくなる。
意味を持つというのは、人間独特の思考。
何も意味ない、というのが霊的思考。
このパラドックスに気づいていく事が「目覚め」へのプロセスなのだと。
このパラドックスによる無意識の葛藤に気づかない限り、この世界のループ構造からは抜け出せない。
まぁ、よくできた自我の世界だなとつくづく思うわけです(笑)
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