ハイヤーセルフ的占星術の解釈

12サイン(星座)には12感覚というのが当てられていて。

まあ、それが本当に正解かどうかは、これを形態化した人物の思考からつくりだされたものですから一概に言えませんが。

この12感覚という概念から、私自身がいつも占星術で見ている世界観をちょっとまとめてみようという気になったので。


①おひつじ座

これは自我感覚。「おぎゃー」と生まれた時、肉体としての分離体験が始まります。

あかちゃんは

生まれてきた時、お母さんと「一心同体」つまり「離れていない」「一体」なんです。

自分が肉体を持っていることもわからない。

ぼんやりと目に映っている外の世界に、段々と物や音や匂いや、一体だと思っている自分と切り離されたお母さんという人物、その周りを取り巻く環境にはお父さんや兄姉、妹弟がいる。

段々お友達ができて、色々な個性ある人が存在している世界なんだと認識していく世界がはじまります。


②おうし座

これは思考感覚。

世界を認知し始めると、個人としての知覚が安定していく。

でもまだ、それは直観的思考というか、はっきりしない概念や理念で、自分の内側に湧く様々なものを何とか理解しようという思考。

見ている世界は何なのかと認識が進むにつれて、同時に発達してくるのが「言語」である。


③ふたご座

これは言語感覚。

言葉にならないものを含め、何か「意味あるもの」として理解しようとします。音を感じ取り、その言葉の意味や意図を感じることで、自分の中での理解の仕方が身についていきます。

外に見る世界は、より自分と分離したものにも感じるでしょう。

自分と他者との違いの中では葛藤が生じます。

そして、この分離感において、再び繋がりたいという欲求が生まれます。


④かに座

これは聴覚です。

精神的な共感、理解、直観に関わりますが、おうし座で感じている概念や理念、それを理解しようという内部発生のまだ言葉にならない言語を、自分自身の中に聴いていることをどのように理解するのか?

ここでは、すっかり外の世界を見る自我的な理解と、

霊的で分離していない一体化の頃の感覚的理解と、

1つの世界の中で2つの音を聴き分けなければならなくなっている。

この聴覚を「天使の声」と例えられることがあるが、これはたぶん自我の声ではない、霊的につながる分離そのものを否定する声でもあると思う。


⑤しし座

これは熱感覚。

本来情熱とは、それは消えることのない、自分の内側の奥に秘める良く熱望するものを指す。

そこにずっと変わらずにあり続けるものが無くなってしまったという誤解は、外の世界に見る何かにその情熱を転写する。

何かしなければならない、何かを生み出さなければならない、何かを失ったかに感じる欠乏感と、それを埋めようとする願望の温度差によって、自己の内部に生み出されるものがある。


これは、よく言えば本当の自分を思い出すものでもあり、悪く言えば、葛藤である。


⑥おとめ座

これは視覚。

自分が見ているものは「投影」であるということ。先ほどのしし座の熱感覚は投影を起こすものでもある。ビックバンでは、急激に熱が上がり、それが冷める過程で様々ものが固定化されていったのだと思う。

熱が冷めた時、物質が固定化していく。これは自我の熱の利用の仕方。

本来の熱(情熱)というのは何も変わらない、ずっとあるもの。だからこそその熱は冷めることなく、そのゴールは到達できるものであると決まっている。

人間的な視覚というのは、自分の内部の思考的解釈通りに世界を意味づけして、自分が見たい世界しか見ないようになっている。

それが個人的価値観になり、自分と他者との区別がより明確になっていってしまう。

知覚は、違いを見るものとして強化されていく。

見ている現実がリアルだと錯覚すると、霊的感覚は完全に薄れ、肉体感覚が強くなっていく。

肉体にまつわることにしか意識が向かなくなり、一体だった霊的感覚との溝がより深まっていくことにもなる。

視覚というのは、見えないものを感じ取るためにある。でも見えるものに偏っていけば現実の背景にあることが捉えられなくなる。

ここでは対極の⑫うお座を是非思い出してほしい。


⑦てんびん座

触覚。

これはあらゆるものの境界線。

自分と他者の境界線。

考え方の違いによる境界線。

感情の境界線。

エネルギーの境界線はあらゆる「違い」を見る為のもの。

でも、私達の霊(魂)は一体であることをどこかではわかっている。だからこそ違いの中で同じを見つけ出したい衝動が隠れる。自分と他者の違いの中で、なんとか折り合いをつけようとする。違うけれども同じところがあるかもしれないと肉体視点で見つけようとすればするほど、霊的には決定的な違いとして感じるというパラドックスに葛藤する。

同じでありたいのに、同じでいたくない。

これが私達の心の中にある葛藤である。それは個人としての競争心や攻撃心となり、自我がより一層強化されてしまう。

ここにおいて対極の①おひつじ座を思い出せばいい。私達はそもそも分離していない一体の存在だった。一体は最初から「完成品」なのである。いつしか自他との境界に苦しみ、完成していたはずのものを「未完成」だと思い込んでいたことに気づくはず。

他者は、自分が否定していることを見せてくれる。その為に違いを見せてくれているのだ。他者は自分そのものである。このあたりでうすらぼんやりと分離感から一体感への帰還がはじまる。


⑧さそり座

生命感覚。肉体を超えて、時空間をこえて、繋がっているという感覚を必死思い出そうとする。肉体的な死生観と霊的な死生観は真逆なのである。

現実では、生と死という区別があるが、一体しているものの中に「生」と「死」に分離できるものは無いはずである。

肉体的な死は、私達を怖がらせ、不安にさせ、傷つかせるものであるという自我の思考である。分離していると思っているからこそ個々の肉体が存在し、その中に心(魂)が入り込んでいるということを信じてない限り「死という概念」は霊的には存在しない。

対極の②おうし座は、こうした分離の概念が現実的に偏ってしまっていることに気づかせてくれる。自分が勝手に意味づけしてきた(思い込み)の中で、本来の分離では無い視点(パラドックスの部分)がすっかり失われていることに気づかせてくれる。

人間的な「生と死」というテーマは、私達の心にある無意識の罪悪感を浮き彫りにする。その罪悪感に伴う恐れは巨大で、その恐れに必死に抵抗しようとする。

「生命」とは本来永遠であるはず。分離ではない一体であれば、「死ぬ」という概念がふかのうなのである。「在るか、無いか」だけなのである。


⑨いて座

運動感覚。

私達は、本質を探す旅をする。狭いか壊れた中から、意識はもっと広い所に飛び出せるのだ。今自分の意識がどこにいるのかをしり、その意識は自由に移動できる。

自分が忘れようとしたことによってできてしまった「未知」という領域に、再び触れることを望んで、魂は旅に出るんです。

未知を知るということは、本当はそれを知っていたという事に気づくことでもあります。

そうだ、と信じていたことが、そうでなかったかもしれないと、知性がはたらくのです。

私達は自分が信じたことが、そのまま体験という形で実在かさせる。自分が作り出した分離の世界には思い入れがある。だからこそ、それを持ち続けたいという葛藤がなかなか無くならない。それでも、「真実」に近づくうちにあなたはその真実にどんどん引き寄せられる。


全ては思考から始まっている、自分が作り出した思考への思い入れであると対極の③ふたご座が思い出させてくれる。

私達の発する「言葉」というのは、言葉にならないようなものを無理やり言葉の枠にはめている。霊は、そうした「言葉」という狭い枠には一切囚われていない。


⑩やぎ座

均衡感覚。

バランスを取る、というのは「偏り」から生まれる行為です。

中庸というのは、どちらかに傾く可能性が残っているのです。

その傾きに気づくと、バランスを取っていること自体に疑問がでてくるんです。重力と無重力の狭間にいるのに、いつしか私達は重力の中で生きるのが当たり前になってしまう。


バランスというのは、そもそも「取ろうとしなくても取れているもの」です。

なぜなら、あなたがこの世界に「完成品」として生まれている以上、この世界に見るのも全ては完成品なのです。

これが宇宙の法則です。

対極の④かに座は、この世界の矛盾を聞き分けるものです。両方が聞き取れて初めて本当の意味で選択が可能になります。


⑪みずがめ座

嗅覚。ここにくると自分が見ていた世界の「うさん臭さ」に気づきます。

つまり「自我」が何なのかが明るみに出てきます。何かが違うと本当の自己(霊)をだませなくなるのです。

ここでもなお、自分は「特別」だという自我は抵抗します。

みな完成品として、優劣が無いということを赦せないのです。こうした葛藤の中に自由はありません。何かが違うというこの違和感に長い間囚われていたことに気づく時、対極の⑤しし座の情熱を思い出します。自分の中で消えることのなかった「真理への熱望」がよみがえります。


⑫うお座

味覚。

食べ物が体に入り、自分の一部となるように、「一体化」が象徴されています。

分離という違いを見る世界のなかに、「同じを見る」という決心ができてきます。

葛藤を終わりにするということは、分離を終わりにするという決意でもあります。

分離は「在る」という概念を生じさせます。

一体であるものは、「在る」なんて発想するら存在しないわけで。ただそうであるという究極の確信が「一体」であると、ようやく自分に赦してもいいかもしれないと思うようになります。

これが、対極⑥おとめ座の視覚が、「肉眼」から「心眼」に変わる瞬間です。

同じ世界を全く違う解釈、知覚になるのです。


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要点を簡単にまとめましたが、つまりは、12サインの物語というのは、

「分離」から「一体」へと還っていくことを象徴しているんです。

占星術は、地上的に個人の体験に重点を置くものが主流の現代ではありますが、そもそもはこうした「霊的な視点」が背景に含まれています。


「今とは違う何者かになろうとする」と必然的にもっと今の現実的状況を良くしようと思ってしまうのが人間の心理です。

でも、そうした「何かを追い求めること」が苦しみを生み出していることも認めていく必要があります。

「良い現実」を選び続けるのは不可能で、しかもその「良い現実」とジャッジしているのは誰?という話です。

ジャッジ、比較、選択、判断、が「分離を意味している」ということに気づく必要があります。


自分の視野や視座によって、占星術の世界観は違います。

色々な楽しみ方がありますのでね。


今回は、私個人的にいつも見ている世界観を言語化してみました(^^♪

Funky's Ownd

心を楽に、ありのままでシンプルに生きる。本当の安心感を手に入れるために、メタ認知を通して自己理解していきます。メタ認知関連の書籍出版、占いの個人鑑定、講座など。

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