思考=解釈=「意見」
「私はこう考えている」という意見。
頭の中のおしゃべりは、「意見を言い続けている」だけです。
意見を持たずに、相手の話を聞く。
=空っぽにして、聞く。
そうすると、感情はぶつかり合わない。
相手の話を聞いているようで、自分の意見を持って聞いているから、自分はこう思うな…次この話を私からしよう…と、ほとんど相手の話を聞いてない。
もしくは自分のフィルターを通して自分の意見から見た解釈で聞いている。つまり、自分の中では相手に向けて意見を戦わせている。
これに気づかないと、意見を通い合わせるとか、わかってもらうとか、お互いの意見の落としどころを探るとか、よけいな思考が動いて、それにがんじがらめになってしまう。
意見を持たずに聞き、そこで感じたそのままの会話なら、あまり衝突はしない。
という私の実体験です。
「神は意見を持たない」
「私は意見を持たない」(=神に対して意見を持たない・他者に対して意見を持たない)
「だから、他者に意見は言わせておけばいい。そこに正誤の判断はいらない。それでいいよ…っていう優しさを持って、安心の場を提供するだけ。そこでやることがあるならやるだけ。」
これがいつも大事にしている私のスタンスです。
↓ ちょっと具体的に、事例をスタエフで長々しゃべってます。
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