何かで埋めようとする。
加えようとする。
人間はそうやって生きてきました。
何をどれだけ手に入れて、安心を得るか…
それが人間の通常の生き方なのは否定できません。
さて、「空っぽ」が最強。
なんでかって?
空っぽは、どこまで行っても空っぽだから。
空っぽだから、「欠けてない」
空っぽで満たされている。
だから最強!
そこには、何でも、どれだけでも、入ってくる。
空っぽだから。「器」すらないくらい広がる空っぽには、豊かさが無限に入ってくる。。。
とスピでよく言われるのはこれですね。
(私も空っぽ、を理解してから、ようやくこれについても理解(笑))
もし、器が空っぽではなく、わずかにでも何か入っていたら?
それはきっと「比べる判断材料」になってしまう。
これよりいいもの、これより多く、これ以外は排除、
そんな風に、何かがわずかにあるだけで、それが「条件のもと」になってしまう。
私達は、途切れることのない流れの中に居る。というか流れの一部。流れそのもの。
空っぽになると、その感覚になってくる。
でも、つい流れてくる何かを、自分で選び取ろうとする。コントロールしたくなる。
イメージしてみて。
川の流れがあるとする。
そこにはいろいろなものが常に流れ続けている。
その流れを私達はフィルターを通して岸からながめている。
このフィルターを流れのとこに置いた「ザル」だと思ってみよう。
水は、ザルの網目を素通りして流れ続ける。
そのザルに、たまに何か引っかかるわけ。
この時、私達はつい、流れの方ではなく、ザルの中身を見て何が入っているかの方にこだわってしまう。
ザルの中身を吟味して、いるものいらないものを振り分ける。気に入ったものだけ持ち帰ろうとする。
そして、次の日もっと良いものがザルにかかってないかと期待して見に行く。
私達の意識はこんな感じなんですね。
じゃなくて「流れそのもの」に目をやった方がいい。
流れを忘れずにいると、ザルの中身は勝手に調整されるのだ。
別にザルを取り去る必要はない。勝手にそこに何かが引っかかるんだから。
空っぽとは,ザルを空っぽにするってことじゃなくて、ザルと流れが両方見えてて、ザルの中身に囚われず、流れに抗わずに観ている状態、って感じ。つまりは観察者。
まずは「思考の空っぽ」を目指すのが「空っぽ」への入口。
思考が静まると、意識は静まる。とても単純。
世界は「流れ」だということを忘れないで。
自然な流れを、そのまま観ているだけ。感じるだけ。
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