一生懸命に日常を生きて、たくさんの経験をして、知識や技術を得て、家族を得て、それなりの「達成感」や幸せを得て・・・・
どちらかと言えば恵まれていて、そんな中でも不幸と感じる体験があっても、他に比べれば私よりもっと大変で苦労している人もいる。
そしてある時、なんとなく抜けきらない、虚無感のような…
終わりのない「何のために生きるか」の疑問…
ゴールはどこ?と思いながら走り続ける人生。
どうせ生きるからには、「一旗揚げたい」みたいな「爪痕残したい」みたいな「存在感を置きたい」みたいな、なんか言葉には上手く表せないが、「何かしなければならない」というこの衝動は抜けないわけで。
どこか物足りなさを、「劇的」な何かで埋めたくなって。
哲学や精神世界、スピリチュアルなどへ興味が向くというパターン。
あるあるだと思うんです。
そして、結局「真実」を知ることになると、一周まわって、元の生活に落ち着くんだけども、それはもうすっかり別次元で捉える「日常」になっているわけ。
以前は、物足りなさを感じていて、
いつも何かに追われているような、
何かしなければという焦りや、
何処か不安げで、
「今ここ」ではないどこかに意識が向いていたけど…
自分が整ってくると、「今ここ」にいられるようになって、
未来を追うことより、今だけという感覚が育って、形は何も変わらない日常なのに、全く違う意識で生きている、そんな変化が訪れる。
結局、一周まわって、元居た場所に還ってくる。でもそれは全く次元が違う。
戻ったけど戻った場所はあ真っさらな。
とても落ち着いて、満ちていて、「普通」だから、前には感じなかった「特別」も感じる。
今を生きるということは、さほど大げさでもなければ、劇的な何かでもなく、特別な何かでもなく、とてもシンプルで普通なこと。
一周まわって、それに気づく。
そして、現実は幻想だからこそ、自由が得られる。
どんな現実的形態であっても、自由でいられる「心」の存在であることに気づいていく。
ただ、気づきの意識が「私」。評価したり、判断したり、何もしない。
ただ、この世界は「現れ」なのだと気づけば、このドラマには何の意味もない。
この世界は、原因のない「結果」の世界。ただ、そうであると決まっている結果の世界を、どれだけ素直に受け入れることができるか。
何だと思う。
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