照らし出されているものを観ている「私」。
でも照らしている側が「私」だったって、以外と盲点なんですよね。
この「目」が光を発している、単純にそんな風にイメージしてみてください。
光を発している目で、照らし出した世界も同時に見ている。
そんな感じ。
光(私)自身と、観る者(私)は同じ。 観られる対象=現実世界全て。
これが深層の真我に近い意識構造。
そして、「光」だと気づく為に現実世界を見せられている「私」という意識も同時にある。この「私」は「自我の色が濃い」。
この私はつい、世界に不満を抱き、文句を言い、人を責め、裁き、怒りでコントロールしたくなる。この自我色の濃い「私」はある程度、意識をクリアにしていくワークで誘導できる。
例えば
・内観の目的地を明確にする
・思考を流す(思考を変える、思い込みを手放すなどではない、もっと根本的なやつ)
・瞑想する(空っぽにする)
こんな感じです。
→この講座を今やっています。
https://ameblo.jp/yumerika2018/entry-12930614236.html
思考グルグル、感情に振り回される、今この段階の人は先にこちらからどうぞ↓
https://ameblo.jp/yumerika2018/entry-12929403189.html
何のために内観をやっているのか?
その目的地を目指すとして、その目的のために何をしたらいいのか?それが明確でないと、内観は必ず迷走します。
・「愛」が体現されるとどんな態度となるのか?
・どんな態度を意識することで「愛」に近づけるのか?
この両輪を、表面的ではなく、深層(根本)で同時に回していかないと、内観の終わりは見えてこないんです。
これは、私の経験上はっきりしました。
細かいことをあれこれやっていて内観が迷走気味の人は、ここが明確でないんです。
「答えから解き明かす」のと
「解き明かしながら答えを見つける」のは、全然違います。
私のスタイルは、先に「答え」を提示する方法です。
それを伝える私もまた、その答えにたどり着く途中です。
誰にも、いつどのように辿り着くかはわからないものが「真理」です。
でも、その真理の気配を頼りに私は進んでいます。
その空間を共有することだけしか私にはできません。
「愛で在る、光で在る」ことをただ感じるための空間を一緒に歩いてみませんか?
講座は、ご希望の日時で承ります。
基本マンツーマン。
お友達同士で複数で受けたいというのもOKです。
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