2024.09.29 11:31何も起きていない起きたことを赦したり、認めたりはできなくて。起きていないから、それを認めることができる。誰かが何かをした前提ではなく、誰も何もしていない前提にならないと、本当の意味での解放はできない。できないことはできなくて。それをできると思っていることに私達はなかなか気づかない。思考のしくみを知りたいなら、こちら↓「失敗しないブロック解除」「失敗しない思考の手放し」講座を開催中です。
2024.09.29 11:23私だからできる!私だからできる…無意識にある「特別感」。自分で問題解決する自分で引き寄せる自分のやり方でやる自分で望む人生を創る自分でできた。自分は知っている。こうして上手くいったことは自分の「手柄」になる。自分が自分が…が前に出てくると、内なる声は聞こえてこない。自分の声がうるさくて聞こえてこない。それが静まり返った時、私達は受け取ることができる。うるさいのは「思考」。「絶対に失敗しない思考の手放し」講座開催
2024.09.08 06:10メタ認知を身につけるワークショップ問題なのは、思考したことでもなく、そうした考えを持ってしまった事でもなく、ジャッジしてしまった事でもなく、手放せないことでもない。問題なのは、自動的に湧いてきたその考えを「信じたこと」。考えをいとも簡単に信じてしまったことを疑ってみるんです。この世界は二元的で不完全だからこそ、ほころびがある。それを見つけることが、希望の光をみつけることになる。ストレスからの完全解放を目指すためのワークショップ、講座を開催中です。★現在開催中のワークショップ・失敗しないブロック解除・失敗しない思考の手放し (ブロック解除の後がオススメ)詳細はMENUへ
2024.07.04 04:00無理なことをしてるこれは起きてほしくない。これは引き寄せたくない現実。これは起きてほしい。これは引き寄せたい。こうした対極の思考が二元、二極思考です。私達人間は機能としてこの思考体系を持っています。この一件ネガティブ視していることも、ポジティブ視されている考えも、これはどちらもお互い共依存的に発生する「意味」ですよね?これを引き寄せたいと考えることができるのは、あれは引き寄せたくないと違いが見えているからです。つまり、これは起きてほしくないということを手放すのであれば、これは起きてほしいということも同時になくなるはずなんです。なのに、良いことだけを引き寄せたいと思って、嫌なことがあれば引き寄せ失敗したと嘆くわけです。私達は引き寄せ率は常に100%です。その事象に「良いこ...
2024.07.03 06:35ジャッジメント私達の葛藤、苦痛は何故生じるのか?思考や感情のプロセス、心理の動きの構造は、全ての人が同じ。日々の人生ドラマは様々でも、一人ひとりがもつ心理的構造は同じ。「二元的思考」であるということです。この二元的思考の私達は「葛藤」が終わりません。それは、選択肢がある世界だから。何かを選ぼうとしたら、何か別のもの(対極性)と比べることが必要で。違いが見えた上で、どちらが良いか(正しいか)を決めて選ぶ。価値観、概念、俗にいう思い込みをみんなそれぞれもっていて、そのように世界を見ていますから、誰一人同じに見ている世界ではありません。でも、この「違い」は見ているものそのものではなく、自分の「思考」の中だけのことで。要するに自分の考えに沿った、ものの見方、解釈をしているだ...
2024.07.03 06:20全面的に委ねるどうしても、自分でできる!自分ならできる!できるはず!こうして、現実の色々、思考の色々、感情の色々をコントロールしたくなる。委ねるんだぞ…と言われても、全面的に委ねる難しさよ。ここは委ねるけど、これは自分でやります…そんな風に部分的な「委ねる」は、結局委ねていないのだなと思う今日この頃。全面的に委ねるとは、どういうことか。委ねる怖さと、淡い期待を抱きながら、この部分を日々学んでいるのだと思う。
2024.05.22 07:11真理とは説明ができない説明がつかないのではなく、説明がいらない説明の必要が無いものが真理なのだと。この世界では、これってこうかもしれないね…っていう「仮説」の域からは出ないものの、何となく納得できる説明はできることばかり。でもそれはどこまでいっても「もし…」という仮説でしかなくて。だから真理がない世界なのだと。真理は、「もし…」がない。何か?がない。人間が追い求める「何か?」はない。という事になると思ってます。
2024.05.20 04:07手放せない何かを手にするのは簡単。物、お金、状況、環境、人脈、体験、感情、気分、あらゆるものを「手にすることは簡単」それは「手にすることが目的」だから。でも一度手にしたものを手放すのが惜しくなる。それは良いこととしていることも、嫌なこととしていることも、どちらでも、手放すからにはこれ以上の何か、もっといいもの、代わりとなるもの、という損得勘定が入っているから。手放す代わりに「こうであってほしい」という欲求がセットになるから。手放したら成長するかもという期待=手放してしまったら、悲しいかも、後悔するかも、失敗するかも…という不安やっぱり今手放すのは止めよう…そんな風に、一度所有すると手放せない。これは何でもかんでも「自分のもの」とおもいすぎているから。なくなってし...
2024.05.20 03:56鏡を通り過ぎる目の前の世界、目の前の他者を「見たくないものをみせてくれるもの」としてみているとしたら、それは一枚目の鏡。表面的なやつ。「見たくないもの」だけでなく「見たいもの」も見ていると気づき、その両方を否定していることに気がついたら、二枚目の鏡が現れる。それは「何を望むかに関係なく見たいものしか見えない」という鏡。全ては見たいものだけしか映し出されないことを知ると、三枚目の鏡が現れる。それは「何も映っていない鏡」。何も映っていないと知れば、その先に現れるのは?それは「鏡なんて無かった」という事実。鏡を自分でおいていた事実。真実を隠し続ける為に置いた鏡であるという事実。ここで初めて、ここには「何もない」という事実を知る。何枚目の鏡を内観しているのか?これはなかなか...
2024.05.14 02:26キリストの十字架刑キリストの十字架刑。罪のないキリストが処刑される場面。それを見る人々は罪悪感を感じたであろう。キリストを貶めた者、キリストは無罪だとわかっていて何も言い出せなかった者、何も関係がない者も見ていて心苦しくなるであろう。処罰する側も心が痛んだであろう。そう、あの場面は完全に「罪」というものが象徴されている。罪、罪悪感、処罰への恐れ。宗教的な解釈はどうか知らないけれど、私はこう解釈します。キリストは、何もしていない。私達を悲しませようとも、苦しめようとも、傷つけようともしていない。見ている姿は痛々しいかもしれないが、キリスト自身は「何も思っていない」ということに気づけということだったのではないか?私達は思考で世界を作ります。肉体や、物や、自然や、ありとあらゆ...
2024.05.14 02:04誰も何もしていない誰も何もしていない。物や自然もなにもしていない。状況や環境もあなたには影響していない。あなたの心を傷つけるようなことや苦しめるようなことはしていない。私達の思考は、何かが「ある」というプログラムになっていて。あなたが苦痛を感じているのは、あなたが誰かや何かに「された」と思っているから。そうした状況が「あった」と思っているから。あなたが楽しさを感じているのは、あなたが誰かや何かに「された」と思っているから。そうした状況が「あった」と思っているから。でも本当は、思考しなければ、「何もない」「何もされていない」「何も起こっていない」。何のために、外の世界があるのか?それは、攻撃対象をつくるためです。「私は正しい」と言える材料。私は悪くないと責任転嫁できる対象...
2024.04.30 05:15META50 ない無いと思えないことから全ては始まっている。無いと思いたくないから、有るを求める。何かを証明するという事は、有る世界における仕事。無い世界では、何もする必要がない。何かをする必要があると思うから、この世界が成り立っている。全てはない。必要というものがない。だから「全てがある」と言えるのだと思う。