2024.01.31 01:00他人像目の前の人がどう見えるか?それはあなたの解釈であり、事実ではありません。あなたが、この人はこう考えているだろう、この人はこう感じているだろう、この人はこういう人だろう、と決めてしまっただけで、本当の所はわかりません。見ているものに意味をつけているのは自分。
2024.01.30 01:00この世界は全部「例え」「もし〇〇なら」という仮説の連続の中に生きていることに気づきません。この世界にあるものは、全部「たとえ話」なんです。どんな立派な理論も、知識であっても、それはどっかの誰かが、「こうかもしれない」と言ったものが後世語り継がれているだけで、本当のところはどうなの?という不確定なものばかり。でも、私達は、いつのまにか「不確定だったもの」を「自分の中で「確定」としてしまう。これが個人の価値観、主観です。確かに、こういうもの、という結論をつけなければ、この世界とは折り合いがつかないのだと思います。しかし、「こうあるべき」に縛られて苦しむのもまた事実。苦しむのが嫌なら、きっと別の見方があるはず。
2024.01.28 00:44全ては自己責任誰かに、腹を立たされたようで、誰かに、傷つけられたようで、でも実はどれもこれも、「自分のせい」です。どんな状況も、最初に選んだのは自分なんです。それをすっかり忘れて、誰かに責任をなすりつけたい。そもそも「自分が何もしなかったら、何も起きていない」それに気づかないと、責任転嫁はやめられない。
2024.01.27 05:35原因探しは言い訳〇〇したからこうなった・・・・原因と結果を自分で導き出そうとする。でも、この原因探しほど、内観で迷走することはない。内観の初歩は、原因探しをやめること。なぜなら、私達が原因がある場所だと思っているその意識の場所は、間違っているから。でも、そこにないのに「あるはず」と思って探すので、終わらないのです。だから、今あなたが探している原因は、原因ではなく「言い訳」なんです。内観は、ここにまず気づかないと何も始まりません。
2024.01.27 00:33意味は無い意味づけ、原因探し。これらをすればするほど、思考は忙しくなり、迷走してしまう。抽象概念を言語化して理解するのが人間ですが、「言葉」は自分自身が理解するためのものであって、その言葉自体は共通認識にはなりません。同じ言葉を見ても、「解釈」が人それぞれ違います。視点も視座も意味も違うままに、お互いコミュニケーションしているので、通じそうで実は通じないという事が起こります。それでも、人はお互い歩み寄ります。だからこそ意味を押し付けあうのではなく、尊重しあう。お互いを尊重するには意味を持たせない方がいいこともある。曖昧なものを曖昧なままにしておけない心理が、明確さを求めたり、その明確さを証明するために相手に伝えようとしすぎてしまう。同意も求めたくなる。言葉はわか...
2024.01.26 12:16他者の評価から卒業する自分軸で生きるというのは、他者からの反応という「評価」から卒業することです。誰かに決めてもらわなくても、自分のことは自分が一番よく知っているし、自分は自分にしかなれないことも分かっています。決断や決定を人任せにしない。自分に責任を持って生きていく。その覚悟はできましたか?と問われています。占い師の私が言うのもなんですが…占いなんて究極のこじつけです。占いで「あなた」という存在の本当の意味はわかりません。占いはただのきっかけにしかなりません。それは、あなた自身が、あなたという存在に気づくきっかけです。ここには「あなたしかいません」「あなたにしかなれない、真のあなたしかいない」あなたを評価する何者かがいるわけではありません。あなたはこういうものですと教えて...
2024.01.25 01:00特別性・特異性占星術的視点でいえば、みずがめ座冥王星期というのは、この「特別性」「特異性」から、自分の本性を見抜くきっかけにするといい、と個人的には思っています。「私は特別だ」「私だけは違う」「私は正しい」この心理に隠されているものが明るみに出てきます。私は特別だから、私は許されるだろう。私は特別だから、私は認められるだろう。こうした「上から目線」自分は一番になりたいという願望これらは全て「承認欲求」ということになります。これらは、「主体」から見た視点。もし「観察者視点」から見るならば、私は特別だと比べる他者はいない。私を認めてくれる他者はいない。ここには自分以外にはいない。という視点がメタ認知的な観察者視点。
2024.01.24 01:00心の自由とは「自由」とは、心の自由。好きな時に好きなように好きなことができるのが自由?そもそも好きか嫌いか、が入るなら自由ではなくなってします。それは「好き」なものは欲しいけど「嫌い」なものは嫌だと思うってことだから。良いか悪いか好きか嫌いかそうした区別のない状態で、今目の前のことを淡々とやる中で、心がそこに縛られない事が本当の自由。つまり、ルールに縛られることも、そこに心が縛られなければ、それは「自由」。不自由なものと、何かを比べて自由だと判断するなら、それは「不自由」ということになる。どちらが良いか?のジャッジは、多かれ少なかれ惑わす材料となるから。比べるものがなくなって、初めて「なんでもよくね?」となる。どっちでもいい、と思うには「どっちもない」でないとそう...
2024.01.23 01:00色即是空私は、あんまり仏教は詳しくないけど。色即是空 空即是色。よく聞くフレーズ。色、はいわゆるこの世界で確定したもの、存在すると認識したもの。空、はいわゆるそれらが無いんだろう。「あるがある」=色「ないがある」=空そういうことなのか?色も空も有も無もそれらは結局「ある前提」何かがあるから、ないもある。がわかる。「ある」という概念は「ない」に依存し、「ない」という概念は「ある」に依存する。区別が発生し、比べることができるならば、それは「分離」本当は、「何もない」「ないものはない」「最初からない」なーーーーーい!という「無い」が私の中の「無い」
2024.01.22 01:00視点の復活タロットの最後の審判とは、「目覚め」の象徴。目を覚ます、というのは、本来あるはずの「視点」がないことになっているので、それを復活させる、という意味だと私個人的には感じます。この世界における私達二元思考です。二元というのは一元ではない、「分離」の世界です。何もかも「分けて」考えるのが得意な私達は、分離視点が通常モードです。分離ではない統合視点というのはどんなものか?それは「第三の視点」の復活です。2ではなく、第3の視点。この感覚を掴むのがなかなかややこしい。この世界は「3」で見ないと、本質が見えません。
2024.01.21 01:00邪魔されるとムカつくようは、自分にとって都合よくいかない時に、ムカつきます(笑)いつも自分優先。あなたにとって何が大事かは、周りにはわからない。だから自分にとって大事なものは自分で守ればいい。ものでも、人でも、時間でも、何でも。でも、これは自分のものだ!と所有感が強くなると自分さえよければいい…となる。本当は、何でも自分の所有物ではないし、それが有っても無くても、本当は大丈夫なのだ。だから、これを優先したい、やりたい、はやくやりたい、これだけはやるまで…とそこに執着してしまっていることもあると気づこう。自分が我慢して、犠牲になるのではなく、それがなくても良いと思えるかどうか。我慢はダメだから、自分優先。こうした欲求を満たしたその先には、それも必要ないという段階が見えてくる...
2024.01.20 01:00損得勘定地球では、地球の学びがある。でもどうせなら楽しまなきゃ!つまらないのは嫌だから、何か刺激的な人生がいい!そんな風に思いますか?まぁ、それもありですけど…何をどう楽しむ?何かがあるから楽しい?誰かと何かをするから楽しくなる?何かがあれば満たされる?外部に依存すると、そこには損得勘定が発生します。自分が得した!という状況は、自分が何か得るものがあったということになりますが、得した=損した人がいます。自分が手に入れた=誰かから奪った という無意識の構図があります。逆に相手が何か手にした=自分から奪われた、という意識が生じます。無意識なので、自覚はないと思いますけど。いいなぁっていう羨ましい気持ち、つまり嫉妬というのは、自分が持つべきものを、他の誰かが持ってい...